りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

飲み会

飲み会であることをすっかり忘れていました。夕方から懇親会。とても若いメンバーで、主に話していた営業は、慎平君と里緒さんの間の歳。あっ自分の子供のような人と飲んでいるのだ・・・と思いました。その割に、サッカー(主に90年代~2000年代のワールドカップ)とドラマの話で盛り上がる。ヨハン・クライフは知らなくてもいいけど、ファン・バステンライカールトルート・フリットくらいは知っているかと思ったら、甘かったですね。でも、ロべカルとカフーのブラジルの両サイドバックはしっかり知っていた。そしてロマーリオロナウドと懐かしすぎるブラジルサッカーのフォワード。ドラマは「けもなれ」。野木亜紀子さんの脚本は現実的でドラマとしては良いと思うのだけど、視聴率が今一つのようです。そして映画。「人魚の眠る家」。昨日は色々考えさせられました。とりあえず、今日の飲み会は良かった。

人魚の眠る家

原作とは細部で違うところもあったけど、概ね忠実。ただ、映像で見て原作にはない怖さ、気持ち悪さと、感動があったような気がする。子供の死、恐らく脳死の子供の死を受け入れられない母親の気持ちはわかるような気がするけど、最先端の技術で、その子の微笑む姿を見て、やはり「気持ちが悪い」と素直に思った。また、脳死の子供を弟の入学式に連れて行ってしまう母親の姿も滑稽。可哀想と思うのか、気持ち悪いと思うのか。それでも、映画を見ているものが「死体」だと思っている子供の心臓に包丁を突き刺せるのかというと、絶対に刺せないような気がする。そして、その時溢れてしまった涙は何でなのか自分では説明できない。何で涙してしまうのだろう。子供は死んでいる・・・と思った。その子供が生きていると主張する母親は狂気だとさえ思った。でも、子供の心臓は止めることができない。母親が子供を愛する気持ちに感動したのだろうか。人の死は、生きている人がその人の死を認めるところから始まる。そんなことを改めて感じさせられました。

人é­ã®ç ã家

My fitness Report 181118

一週間ぶりになってしまいました。朝から一本。あまり調子はよくなかったけど、最後に少し頑張ったら、タイムは先週とほとんど同じだった。やはり、コンスタントに走っていないとすぐに呼吸器系がついてこなくなるような気がする。脚もあがらない。

今日は結構着込んで走ったけど、外は随分寒く感じるようになりました。それでも、走り終わって、いい汗。そして、今年もやっと500kmを超えました。

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本日の走行距離 5.4km

今月の走行距離 37.4km

1月からの走行距離 505.1km

ピース・オブ・ケイク/恋妻家宮本

人を好きになることって、こんな感じかもしれない。言葉では言えない何かに惹かれ、強く求めてしまうもの。特に若い時は、理性とかではコントロールできない何かがあるんでしょう。そうやって惹き付けられたものは、多少の年月では消えることが無い・・・のかな。何となく流されてしまって、でも人を好きになって、信じた人に裏切られた気持ちになって、自立して、でもやっぱり好きな人は好きで・・・そんな女性を多部未華子さんが上手く演じているような気がしました。

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下町ロケットで熱血漢が板についてしまった阿部寛さんにこの役は似合わない。加賀恭一郎を演じる阿部ちゃんとも違う。優柔不断のイラッとする奴。でも、この映画を見て、一つだけ好きだなと思ったのは、「正義と正義はぶつかってしまうかもしれないけど、優しさはぶつかることが無い」ということかな。とにかく、優柔不断な人は正直あまり好きではない。それが、相手を思うが故に起こっている態度だとしても。ただ、正しいと思ってやっていることは時に人を傷つけてしまうかもしれないけど、人に対する優しさは違うのかな。優しいが故に傷つけてしまうことも有るような気がするけど・・・

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人工知能に哲学を教えたら

 「ホモ・デウス」を読んだ後、積読されていた「人工知能に哲学を教えたら」を読みました。哲学者の視点から人工知能を考えた本で、思考実験という形で色々なテーマを考えてみる本、とても勉強になりました。「ホモ・デウス」でも正しさをジャッジするのに倫理の問題というのが大きく関与していたと思うけど、AIは無人化の形で意思決定をするものであるから、主体として倫理が問われる存在であるということかな。テーマは、「正義」「脳」「芸術家」「恋愛」「労働者」「宗教」「遺伝子」の7つだけど結論から言うと、程度問題という形で白黒は付けられない感じだけど、データ化が進めば人工知能はかなりのところで人間に近づき、超えていくことは間違いないなという印象を持った。世の中はAIを使う人とAIに使われる人に分かれてしまうことも説得力がある。そして、リカレントではないけれども、時代時代で自分の役割を再確認し、自分を順応させられる人だけが生き残れるのだなと改めて考えさせられました。

人工知能に哲学を教えたら (SB新書)

人工知能に哲学を教えたら (SB新書)

 

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今月の読書 4冊

1月からの読書 69冊

ホモ・デウス

 ホモ・デウス 上下合本版を読み終わりました。いや、本当にすごい本です。パラパラっと読んで理解が追い付かなかったので下巻の途中で積読していましたが、改めて。上巻は「現代の社会がそれまで人類を死にもたらしてきた大きな要因である、飢饉と疫病と戦争を首尾良く抑え込んできた」というところから始まる。繁栄と健康と平和を確保した人類が次に目指すものが老化や死の克服、幸福の追求、そして人間を神にアップグレードさせること(ホモ・デウス)を目標としていくという流れはとても分かりやすい。そして幸福とは・・・「幸福は客観的な境遇よりもむしろ期待にかかっている。私たちは平和で裕福な生活からは満足感が得られない。それよりも、現実が自分の期待に添うものであるときに満足する。あいにく、境遇が改善するにつれ、期待も膨らむ。」「私たちの生化学系は、無数の世代を経ながら、幸福ではなく生存と繁殖の機会を増やすように適応してきた。生化学系は生存と繁殖を促す行動には快感で報いる。だがその快感は、束の間しか続かない。」「エピクロスはおよそ二三〇〇年前、快楽を過度に追求すればおそらく幸せではなく惨めになるだろう、と弟子たちに警告した。その二世紀ほど前、ブッダはそれに輪をかけて過激な主張をし、快感の追求はじつは苦しみのもとにほかならない、と説いた。快感は 儚く無意味な気の迷いにすぎない。私たちは快感を経験したときにさえ、満足したりせず、さらにそれを渇望するだけだ。したがって、至福の感覚や胸躍る感覚をどれほど多く経験しようと、私たちはけっして満足することはない。」などはしっかりメモした。そして、サピエンスが世界を支配した理由を「サピエンスだけが共同主観的な意味のウェブ──ただ彼らに共通の想像の中にだけ存在する法律やさまざまな力、もの、場所のウェブ──を織り成すことができるからだ。」と主張する。そして、それを助けたのが書字と貨幣だというところも説得力がある。

ただ、そこから先は難しかった。人間至上主義というある種の宗教が20世紀を席捲したこと。これをデータ処理とアルゴリズムという観点でとらえること。「資本主義が冷戦に勝ったのは、少なくともテクノロジーが加速度的に変化する時代には、分散型データ処理が集中型データ処理よりもうまくいくからだ。」という文章はとても印象的。つまり、これからはデータ至上主義、アルゴリズムの時代なんですね。GoogleFacebookアルゴリズムが本人よりも本人をよく知っている(あるいは知るようになる)というのは容易に予想がつく。そしてそのためにはネットワークにデータを供給し続けることが価値なのだという視点。う~ん。わかるけれども理解しきれないような。確かにそうなったとき、人間の価値って何なのだろう?もちろん筆者はそうした否定的な形で筆を閉じてはいない。「AIが進歩し、ほとんどの分野で人間に取って代わり、人間について、本人よりもよく知るようになれば、大多数の人は存在価値を失い、巨大な無用者階級を成し、人間の人生と経験は神聖であるという人間至上主義の信念が崩れる。一握りのエリート層は、自らをホモ・デウスにアップグレードし、無用者階級を支配したり切り捨てたりして生き残りを図るかもしれない。」と語る。さて、自分はホモ・デウスにアップグレードできる人間側に残れるのだろうか?

ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来

 

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今月の読書 3冊

1月からの読書 68冊

役員会

平日の夕方から菩提寺の役員会でした。墓地整備委員会事務局からの報告はとても厳しかったけど、これが現実。自分もある種否定的だけど、昔ながらのやり方(布施)だけでお寺の事業をやりきるということは今の時代には受け入れられない。どのお寺でも、お寺の活動とは別に収入減が必要であり、それがないと何もできない時代であることが改めて確認された。まあ、予想通りというか、最初から分かっていたことだけど、住職の高邁な理念が現実を受け入れることをずっと先送りしてきた。さて、これからどうするか。現実は現実として受け入れて次のうち手を考えないと、工事が乗り切れない。誰が猫の首に鈴をつけるのか・・・