りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

ホモ・デウス

 ホモ・デウス 上下合本版を読み終わりました。いや、本当にすごい本です。パラパラっと読んで理解が追い付かなかったので下巻の途中で積読していましたが、改めて。上巻は「現代の社会がそれまで人類を死にもたらしてきた大きな要因である、飢饉と疫病と戦争を首尾良く抑え込んできた」というところから始まる。繁栄と健康と平和を確保した人類が次に目指すものが老化や死の克服、幸福の追求、そして人間を神にアップグレードさせること(ホモ・デウス)を目標としていくという流れはとても分かりやすい。そして幸福とは・・・「幸福は客観的な境遇よりもむしろ期待にかかっている。私たちは平和で裕福な生活からは満足感が得られない。それよりも、現実が自分の期待に添うものであるときに満足する。あいにく、境遇が改善するにつれ、期待も膨らむ。」「私たちの生化学系は、無数の世代を経ながら、幸福ではなく生存と繁殖の機会を増やすように適応してきた。生化学系は生存と繁殖を促す行動には快感で報いる。だがその快感は、束の間しか続かない。」「エピクロスはおよそ二三〇〇年前、快楽を過度に追求すればおそらく幸せではなく惨めになるだろう、と弟子たちに警告した。その二世紀ほど前、ブッダはそれに輪をかけて過激な主張をし、快感の追求はじつは苦しみのもとにほかならない、と説いた。快感は 儚く無意味な気の迷いにすぎない。私たちは快感を経験したときにさえ、満足したりせず、さらにそれを渇望するだけだ。したがって、至福の感覚や胸躍る感覚をどれほど多く経験しようと、私たちはけっして満足することはない。」などはしっかりメモした。そして、サピエンスが世界を支配した理由を「サピエンスだけが共同主観的な意味のウェブ──ただ彼らに共通の想像の中にだけ存在する法律やさまざまな力、もの、場所のウェブ──を織り成すことができるからだ。」と主張する。そして、それを助けたのが書字と貨幣だというところも説得力がある。

ただ、そこから先は難しかった。人間至上主義というある種の宗教が20世紀を席捲したこと。これをデータ処理とアルゴリズムという観点でとらえること。「資本主義が冷戦に勝ったのは、少なくともテクノロジーが加速度的に変化する時代には、分散型データ処理が集中型データ処理よりもうまくいくからだ。」という文章はとても印象的。つまり、これからはデータ至上主義、アルゴリズムの時代なんですね。GoogleFacebookアルゴリズムが本人よりも本人をよく知っている(あるいは知るようになる)というのは容易に予想がつく。そしてそのためにはネットワークにデータを供給し続けることが価値なのだという視点。う~ん。わかるけれども理解しきれないような。確かにそうなったとき、人間の価値って何なのだろう?もちろん筆者はそうした否定的な形で筆を閉じてはいない。「AIが進歩し、ほとんどの分野で人間に取って代わり、人間について、本人よりもよく知るようになれば、大多数の人は存在価値を失い、巨大な無用者階級を成し、人間の人生と経験は神聖であるという人間至上主義の信念が崩れる。一握りのエリート層は、自らをホモ・デウスにアップグレードし、無用者階級を支配したり切り捨てたりして生き残りを図るかもしれない。」と語る。さて、自分はホモ・デウスにアップグレードできる人間側に残れるのだろうか?

ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来

 

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