りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考

 ユヴァル・ノア・ハラリさんの「21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考」を読みました。「サピエンス全史」「ホモ・デウス」に続いて、ハラリさんの本は3冊目だけど、とにかく常に圧倒される。まさに知の巨人だと思います。この本を簡単にまとめることはできないけど、自分の中に響いたのは3点。ひとつめは「神経科学や行動経済学のような領域での研究のおかげで、科学者は人間のハッキングがはかどり、とくに、人間がどのように意思決定を行なうかが、はるかによく理解できるようになった。」その結果、「ITとバイオテクノロジーが融合することで、間もなく何十億もの人が雇用市場から排除され、自由と平等の両方が損なわれかねない。ビッグデータを利用するアルゴリズムがデジタル独裁政権を打ち立て、あらゆる権力がごく少数のエリートの手に集中する一方、大半の人は搾取ではなく、それよりもはるかに悪いもの、すなわち無用化・存在意義の喪失に苦しむことになるかもしれない。」というところ。ホモデウスにも同様の話が出ていたと思う。やがて人間はテクノロジーに凌駕されてしまうということ。そして、富める者はより富み、場合によってはすべてを手に入れることになるかも知れないが、多くの人は無用化・存在意義の喪失に苦しむことになるというもの。

2つ目は、サピエンス全史に繋がるのかもしれないけど、「ホモ・サピエンスが他のあらゆる動物を凌ぎ、地球の主人になれたのは、個人の合理性ではなく、大きな集団でいっしょに考えるという、比類のない能力のおかげだった。そして、人間は社会的な動物であり、そのため、人間の幸福は他者との関係に大きく依存しているということ。愛や友情やコミュニティがなければ、幸せになれる人などいるだろうか?だから幸せになるためには、少なくとも家族や友人やコミュニティの仲間を気遣う必要がある」ということ。

そして、3つ目は人間の協力関係を形づける宗教の役割。「人間が世界を支配しているのは、他のどんな動物よりもうまく協力できるからであり、人間がこれほどうまく協力できるのは、虚構を信じているからだ。宗教の教義は、人々をまとめることによって、人間の大規模な協力を可能にする。その一方で、美しかろうが醜かろうが、そうした宗教伝統はみな、特定の人々を団結させる一方で、彼らを隣人たちから区別する。一神教が間違いなくやったのは、多くの人を以前より不寛容にすることで、それによって一神教は宗教的迫害と聖戦を広めるのに貢献した。それでは、宗教はどうやって人をそこまで信じ込ませるのか?すでに何千年も前に聖職者やシャーマンがその答えを見つけている。すなわち、儀式だ。儀式は抽象的なものを具体的にし、虚構を現実に変える摩訶不思議な行為だ。あらゆる儀式のうち、犠牲を払う行為が最も強力だ。そして、でっち上げの話を一〇〇〇人が一か月間信じたら、それはフェイクニュースだ。だが、その話を一〇億人が一〇〇〇年間信じたら、それは宗教」とまで言い切る。仲間と協力と宗教の関係がクリアになったような気がする。

こうした中で、人間の苦しみについても少し考察がある。「苦しみが現れるのは、私たちがこれを正しく認識しそこなっているからだ。人は、どこかに永遠の本質があり、それを見つけてそれとつながれさえすれば、完全に満足できると信じている。この永遠の本質は、神と呼ばれることもあれば、国家と呼ばれることもあり、魂、正真正銘の自己、真の愛と呼ばれることもある。そして、人はそれに執着すればするほど、失望し、惨めになる。ブッダによれば、人生には何の意味もなく、人々はどんな意味も生み出す必要はないという。私たちは、意味などないことに気づき、それによって空虚な現象への執着や同一化が引き起こす苦しみから解放されるだけでいい。」そして、筆者自身の経験から「自分の苦しみの最も深い源泉は自分自身の心のパターンにあるということだった。何かを望み、それが実現しなかったとき、私の心は苦しみを生み出すことで反応する。苦しみは外の世界の客観的な状況ではない。それは、私自身の心によって生み出された精神的な反応だ。」という考察をしている。

何とも奥深い。折に触れて改めて目を通したい。

21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考

21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考

 

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