りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

仏教は宇宙をどう見たか

佐々木閑先生の「仏教は宇宙をどう見たか」を読みました。「倶舎論」の世界観の解説書である。倶舎論とは、釈迦牟尼の教え「阿含経」をベースとした体系的仏教書といわれる「アビダルマ」のうち最も完成された形のものといわれている。正直、難しくて一度読んだだけではとても理解したとはいえない。でも、あとがき他がとても良かったので少し引用する。

・インドを学び、仏教を学び、釈迦牟尼という人物のことを学ぶうちに、そこに現れているものの見方、考え方は、自然科学のあり方と同じ基盤に立つものであり、したがって両者を同一線上の人間活動としてとらえることができるのではないかと思えるようになったのである

・「犀の角たち」では、物理学や数学といった自然科学の各分野で起こったパラダイムシフトの方向性を検討することにより、理想的な神の視点から人間の限定的な視点へとものの見方が変移していく「人間化」に科学の本質があることを指摘した。そしてそれが、釈迦牟尼が作った仏教という宗教の視点と齟齬なく融合する世界観だということを主張し、そこに科学と仏教の一元化の可能性を見出したのである

大乗仏教が主張する「空」とか「仏性」などといった神秘思想を一切認めず、機械論的因果則だけで全宇宙を説明しようとして、実際、その企てに成功したアビダルマの哲学こそが、仏教の最も科学的領域である

 

・超越者の存在を認めず、法則性だけで世界を理解しようとする仏教の立場は、現代の科学的世界観と共通するものがある。しかしその一方で、仏教と科学には決定的な違いもある。科学は世界を物質と精神に二分したうちの物質だけを考察対象とし、その物質世界を司る基本法則の発見を使命とするものであるが、仏教の方は物質世界にはほとんど興味を持たない。仏教の目的が、現実世界に生きることを苦しみと感じその状態からの脱出を願っている者たちに正しい道を指し示すことである以上、その考察領域は我々の精神に限定される・・・この続きとして、現代の脳科学の発展がそういった科学と仏教の溝を埋めて、両者を融合する新たな世界観を生み出すのではないか・・・

諸行無常の世で永遠に輪廻を繰り返す私は、一時たりとも同じ姿でとどまることができない。それを苦しみととらえ、その苦しみを断ち切るために無為法である涅槃を目指す。それが仏教という宗教が説く道である

・私たちは普通に暮らしている限り、いつも煩悩を起こしながら生きている、特別な方法を用いない限り、それを断ち切ることはできない。その特別な方法というのが、釈迦牟尼が自力で見つけ出した修行の道、つまり仏教である