りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

人間と宗教あるいは日本人の心の基軸

寺島実郎さんの「人間と宗教あるいは日本人の心の基軸」を読みました。この本、この正月から読み始めているテーマである仏教、日本の宗教そして日本人を考える上で必読の書であり総括のような気もする素晴らしい本。消化できなかったところは、何度でも読み返したい。

前半の明治維新以降の「国家神道」と神仏習合の話は、よりクリアになった感はあるけどこれまでの学習とそれほど相違ないかな。あと、寺島さん自身がどの宗教にも属さない立場で考察しているので、宗教とは何なのかというところにさかのぼって、宗教を客観的に見ているスタンスがとても良い。結論を一つ引用すると「『宗教とは、感情 に 働きかけ、 人々を結束させる信念と実践のシステム』であり、 社会的関係性の中で自らの位置を問い掛け、共有できる価値に向き合う視界が 生まれると考えるべきなので あろ う。」ということみたいだ。ちょっと難しい。ただ、「世界は宗教から成り立っており、国家制とは異なる巨大な宗教圏ともいうべきものが存在する」ともいう。「定住 すること によって、地域社会を 構成する権力、支配 ─ 被支配の関係、構成員相互の利害対立、そうした緊張を制御し、秩序を正当化する価値基準が必要になってきた。『 自らの存在の意味』を問いかける動物である人間は、自らを律する価値を求め、目先の利害を超越した価値への想像力を膨らませ、そこに世界宗教につながる心性が動き出した のである・・・世界宗教の本質 は『 利他 愛』だと思う。つまり、他者への配慮であり、心の寛さである」ともいう。

一方、仏教について。「釈迦の仏教は『 究極 の 内省』、 つまり 心 の 内側 を 見つめ、 欲望 からの 解脱、 煩悩 からの 解放 を 目指す もの で あり、 そこ には 他者 の 救済 という 意識 は ない」。これはこれまで理解してきた通り。「『 空』 とは『存在 する もの には 実体 が ない』 という 考え に 立ち、 あらゆる 執着 からの 解放( とらわれ ない 心) を 志向 する 視座 で ある。 大乗仏教 を 凝縮 し た とも いえる 般若心経 の 冒頭 が 意味 する『 観自在 菩薩 は、 完全 なる 智慧 の 完成 に 向け た 実践 において、 存在 する もの すべて に 実体 が ない と 見抜き、 一切 の 苦悩 や 災禍 を 取り除い た』 という 世界観 を 産み 出し た。 無常 なる もの を 常 で ある と 執着 し、 もがき 苦しむ こと からの 解脱 を 示唆 し て いる ので ある。」「西洋 的 見方 は『 分割 的 知性』 で あり、 分割 は 知性 の 基点 で、 主客 分別 する こと で『一般化、 概念 化』 という 知 が 成り立つ と する。 一方、 東洋 的 見方 は『 主客 未分化』 で、 自然 という 全体 の 中 で 生かさ れ て いる こと を 意識 し て『 円融 自在』 の 視界 で 思考 する と し、 漢字 という 表意文字 で 思考 する こと の 意味 を 語っ て い た」と続く。あとは、少し気になったところを書き写しておく。

「仏教 優位 の 神仏習合 が『 中世 における 神道 の 自己 主張』 の 登場 まで 続い て い た こと に 気づく。 輪廻 の 世界 の『六道』( 地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天) の 最上位 の『 天』 の 領域 に ある と 位置付け られ た 日本 古来 の『 神』を『 仏』 の 力 で 救い、『 神』 が 仏教 を 支えるという構図で『 神仏習合』が成立し て い た のである」

「中東一神教 は、絶対者( 神)を人智を超越した 存在として人間の外に置くが、 仏教 では絶対者( 仏) は あくまで人間の 内に存在 し、真 の自己と法という価値に目覚め、 それを以て他者に光を放つ」

「幕府はキリスト教 禁制を巧みに支配体制の確に利用し た。『宗門改め』を制度化 し、 庶民 一人一人を寺請・檀家制度に組み入れ て、寺院を中心に地域の支配機構を 形成 し、徳川幕府という政治権力体制 を構築したのである」

「明治以降の近代化と都市化で寺檀制度は空洞化するが、 江戸期に埋め込まれたこの 制度 が、 今日でも 日本社会の基底に根強く存在 する」 

「武士 層 の思想の軸になっていった 儒教、 寺檀制度 を 通じ、 日常性の中で民衆の 精神の基層を形成した仏教、土着の自然崇敬 と 祖先 祭祀を基盤として掘り起こされた古層 として の 国学神道、 これらが 複合化して化学反応を起こし、 日本人の『 魂の基軸』を形成したといえる」 

西田 幾多郎は「 宗教」 に関し、「 宗教 的 要求 は 自己 に対する 要求 で ある」 と 語り、「 真正の宗教は自己 変換、 生命の革新を求めるのである」と言い切る。 人間が自ら の内面を見つめる力に宗教の本質を見るのであり、「 真摯に考え真摯に生きんと 欲する者は必ず 熱烈なる宗教的要求を感ぜず にはいられないので ある」とする 西田の言葉は重い。

天皇制には 時代 を 超えた 一貫した性格 は なく、 特に明治維新から敗戦 までの 七 七 年間 の『 権力と権威を一体化させた絶対 天皇制』がきわめて特異なものだっ たといえる」

「現代 を 生きる 大方の日本人の魂の基軸は、中東 一神教の 信者の ごとく「 絶対 神」 に 帰依するものでは なく、「 宗教性 は 希薄」と いわざるをえないが、 潜在意識 においては緩やか な「 神仏 儒」を 習合させた価値を 抱えていると いえる」 

この最後の話が凄く大事で、日本的宗教には神道、仏教、儒教の緩やかな習合があって、絶対的なものというものを置かず、穏やかな調和がベースにあるような気がする。自然と調和し、外部の環境を受け入れ、小さな矛盾は飲み込んで、良いところを取り入れる。様々なものに神の存在を感じ、敬い、あるものを謙虚に受容する。今のところの理解はそんなところかな。

「[DATA]

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