りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

秋彼岸會

秋彼岸會。朝から天気が怪しかったけど、そこはお彼岸。雨も上がって晴れやかなそれが見えてきました。コロナで法要を本堂でやることはしばらくなかったのだけど、今日は2年半ぶりに本堂での法要。神仏習合を意識して、最初に祝詞があってからの仏式の法要。住職の意図は判らないではないけど、違和感がないかといえば、やっぱり違和感。確かに日本の仏教はそれまでに土着していた日本の先祖崇拝といった道教の考え方の影響を受け、神道の影響を受け、日本流の進化を遂げたのは事実だと思うけど、曹洞宗曹洞宗らしくじゃないのかな。

でも、まあ久しぶりに本堂での法要。地蔵講とかの時も本堂に入ってはいたのだけど、やっぱり彼岸とかは違うかな。法要後の法話。今日は彼岸の起源の話だった。

https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000160356

『日本の歳時伝承』p102では、延暦二十五年(806)三月十七日に朝廷の太政官から「五畿内七道諸国」へ、国分寺の僧に春分秋分を中心とする七日間に金剛般若波羅蜜経を読ませる命令が出ているのが元になっていて、これを命じた太政官符では以後恒例とするようにしたと述べられている。
このことは『国史大系 第2部 第9巻 延喜式 中篇』のp657に「諸国春秋ニ仲月各一七日。於金光明寺。請部内衆僧。伝読金剛般若経。」と記載されている。
『知れば恐ろしい日本人の風習』によると、彼岸の起源は早良親王の怨霊を鎮めるための行事であったと記述されている。延暦25年(806)2月の記録に、「毎年春分秋分を中心とした前後7日間には、『金剛般若波羅蜜多経』を崇道天皇のために転読させた」とある。転読とは、長い経文をアコーディオンのようにヒラヒラと早めくりして風を起こし、読経の呪術力を大気に送り込むという、いわば一種の祈?の作法であった。崇道天皇とは第50代の桓武天皇の弟、早良親王のことであり、藤原種継暗殺事件の首謀疑惑のため皇太子位を剥奪され、幽閉された。抗議のための断食を行ったが、餓死してしまう。その後、桓武天皇の周りで次々と不幸が続き、早良親王の祟りとされた。怨念を鎮めるため、桓武天皇平安京遷都のみならず、死んだ早良親王へ「崇道天皇」という迫号を贈り、7日間昼夜を問わずにお経を転読する「お彼岸」を始めたのであったと述べられている。

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逆説の日本史なんかで出てくる話ですね。怨霊信仰の始まりともいわれる話し。勉強になりました。

 

午後からひばりヶ丘へ。昨日奥さんが鍵を受け取って来てくれたので、新居に初めてオーナーとして足を踏み入れる。大安吉日なので、大事なものをいくつか持って行った。

安室奈美恵さんの写真集、アンナチュラルとハナミズキのDVD、竹内啓先生の「数理統計学」それとOLYMPUSのPEN-P6とレンズ。