りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

松江

本日は松江。奥さんの誕生日を旅行先で迎えられて良かった。

仕事では何度となく来た松江。そうはいっても最後に来てから10年以上経ってしまいました。散々お世話になったキーコーヒードトールになり、ミスドスターバックスになっていました。

まずは船での堀川めぐり。ラッキーなことに貸し切り。船頭さんはとても面白い人でした。

松江城の石垣。ただただ壮大。

これが国宝松江城です。

天守から見える宍道湖の眺めがいい!

お昼は贅沢に鯛めしを頂きました。

島根県立美術館にいる宍道湖のうさぎ。2番目のウサギは幸福うさぎといわれて西向きに向いて触ると幸福が訪れるらしい。

松江観光にはこのバスがぐるっと観光地を回ってくれてとても便利でした。

 

出雲大社

出雲大社に行ってきました。新幹線の時間を間違えてしまったせいで、出雲市駅到着が2時間遅れてしまい、石見銀山は断念。ゆっくり出雲大社参拝をさせて頂くことにしました。出雲市駅からはレンタカーで移動。久しぶりのレンタカーで超安全運転。でも、天気に恵まれて良かった。

大国主命

しめ縄。確かに迫力があります。

本殿。

裏から見た本殿。

楽殿のしめ縄。こちらの方が迫力がありました。

出雲大社の復元模型。凄すぎる。

弁天島

伊佐の浜の日暮れ。とてもいい景色でした。

 

小倉

慎平君に会いに小倉まで行ってきました。慎平君に会いに九州に行くのはこれで3回目。5年で3回というのは少なかったかな。昨年もそうだったのだけど、慎平君はずっと体調がすぐれない様子でそれはそれで心配。小倉に3時に待ち合わせて、スマホの切り替えをして、小倉城周辺を散策。会ってみたら意外に元気そうだったし、仕事は頑張っているみたいで安心しました。良かった。奥さんも嬉しそうでした。

小倉駅にある銀河鉄道999のオブジェ。

 

いま、希望を語ろう

ポール・カラニシ博士の「いま、希望を語ろう」を読みました。サブタイトルは「末期がんの若き医師が家族と見つけた「生きる意味」です。先日読んだ、「最高の老後」の中にあった推薦図書です。カラニシ博士は脳神経外科医。当然医師としても生死というか、患者の生きる意味を考える立場にいた。手術のリスク、場合によっては何か障害が残るかのうせいがある、障害によって何かができなくなる場合、その何かは生きることよりも意味があることなのか?そういうことですね。そういう彼が、これからという時に自らの病を認識した。自分にとって生きる意味とは何か?それは、「手術をして人を救いたい」ということだった。家族を残したいということだった。そして、再び手術室に立つために、どういうリハビリをしなければいけないか。簡単にいえばそういうことなのだけど、人間は死を意識した時、考えるのは死ぬことではなく、何のために生きるのか、生きる上で何が大切なのか、生きる上での価値観ということだったということ。つまり、自分の死を考えることは生きることを考えることなんだということでした。

人間はいつかは死ぬ。それは変えられない事実だし、誰もが知っているけど、その割に何のために生きるのか、生きる上で何が大切なのかを改めて考えることなく過ごしてしまっていないか。こういうことを機会に、自分の価値観、生きる上で大切なこと、そのために何をすべきかを考えるべきと改めて思いました。

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今月の読書 1冊

1月からの読書 26冊

創立記念日

9月に入りました。会社は今日が創立記念日でお休み。ただ、現在は半出向の身であるので、品川に出社。それでも、会社が半分お休みということで、メールはいつもの半分。仕事は比較的順調に処理することができました。

そして、こちら側でも引継ぎが始まった。自分にとっては知っていることが多かったけど、改めて聞いてみるとやるべきことが多いことを認識する。それにしても課題が多いです。最初はもう少し軽く考えていたけど、これからのことを思うと、さすがに憂鬱になってきました。果たして限られた時間で何ができるのか。恐らく積み残すことが多いと思うのだけど、それをきちんと引き継げるものなのか。今から2年後の引継ぎを考えるのもなんだけど、期間が2年間というのは長いようで短い。気持ちをしっかり持たないと何もできないで終わってしまうかもしれない。引き締めてかからないと・・・

死の壁

養老孟司先生の「死の壁」を読みました。まず、面白いなと思ったのは、死体には三種類あるという話。「ない死体」「死体でない死体」「死体である死体」。言い換えると「一人称の死体(自分の死体)」「二人称の死体(親しい人の死体)」「三人称の死体」。まず、自分の死体は見えない。だから考えても仕方がない。二人称の死体は死体と思えないということで特別な死体。後は普通の死体という分け方。死体は穢れと結びついていて、暗に「死んだ奴は我々の仲間ではない」という意味合いがあるらしいのだけど、親しい人の死体にはそれが無いということなんでしょう。

そこから、死を考えるときは、一人称の死ではなく、二人称、三人称の死を考えることこそ意味があると先生はいう。実は「人の命は何よりも尊い」という誰もが否定できない真実があるのだけど、絶対の真実を信じる人は絶対の正義を振りかざすのが常で、ただ、脳死安楽死を考える場合、絶対の正義が大きな邪魔をする。世の中にはタテマエとホンネの世界があって、清濁併せ呑むではないけれど、ホンネの世界では共同体のルールとして現実に折り合いをつけてきたのではないかということ。そこをタテマエの世界だけで綺麗に片づけようとすると、そのひずみがどこかに大きく溜まってしまうということなのかもしれない。

先生の主張はこうした二人称、三人称の死は考える意味があるけど、自分の死は考えても仕方がないこととしている。最初は違和感があったのだけど、自分がボケて困るのは家族、自分が死んで後始末をするのも家族。その家族にとって自分の死は二人称、三人称の死であって、やはり考えるべきは二人称、三人称の死とそこから生まれる社会的な問題というのは確かにそうなのかなと思うようになりました。ただ、よく言われているように、死を考えるということは、死ぬまでの自分の生き方を考えるということであり、その点はまた改めて考えるべきなのかなという気がしました。

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今月の読書 5冊

1月からの読書 25冊

最高の老後

山田悠史先生の「最高の老後」を読みました。サブタイトルは「死ぬまで元気を実現する5つのM」。まず5つのMだけど1)Mobility からだ(身体機能) 2)Mind こころ(認知機能、精神状態) 3)Medicationsくすり(ポリファーマシー) 4)Multicomplexity予防(多様な疾患)5)Matters Most to Meいきがい(人生の優先順位)

まずは、からだ。ここのポイントは運動。運動は病気のリスクを下げるだけでなく、身体機能はもちろん、認知機能や生活の質、睡眠の質を改善してくれる効果も期待できるということ。目安は軽めの運動を週に150分程度でいいらしい。ジョギングや水泳なら1時間から90分程度でいいとのこと。比較的ハードルは低いけど継続が重要。あと有酸素運動と筋力トレーニングなど複数の運動を組み合わせることが重要とのこと。

こころとくすりは薬に頼り過ぎないということかな。大事なことは食事ですね。塩分を控え、果物を増やしたDASHダイエットのような一部の食事法については根拠が示されているようだけど、あとは不確定なものらしい。ただ、サプリも含め効果は人それぞれだし、過剰摂取の問題もあるので、食事を正しくが基本なんでしょう。

後は自分の死に備えておくことかな。これは本当にその通りと思います。

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今月の読書 4冊

1月からの読書 24冊