りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

百花

Amazonプライムで鑑賞。この映画で大事な映像となっている半分の花火をどう解釈してよいのか考えてしまった。幼い子供である泉を残して、男の下に走ってしまった母親。やがて戻ってくるにせよ、やっぱり許されないことのような気がする。ただ、子供にはそんな大人の事情は判らないから、戻ってきたら素直にうれしいのかな・・・ネグレクトだけど暴力振るわれていた訳でもなさそうだし。
一方で認知症は辛い。特にまだら模様の時は周囲の人だけでなく、本人も辛いんだろうなと改めて思ってしまった。むしろ、完全に記憶が無くなってしまえば、私とあなたの関係はなくなって、完全な三人称になってしまう。それはそれで、そういうものだと割り切れば優しくもなれる。でも、まだら模様の時は、話せば通じる部分もあるので、都合の悪いところだけを忘れられてしまったようで、周囲の人は困惑する。そして、そのまだら模様が今だけでなく、人生の記憶の全体に対して作られてしまったら・・・半分の花火。見えない部分は都合よく忘れられてしまった記憶なら、それは本人には美しくても、周囲の人には受け入れられない美しさとなることもあるのではないかと。ただ、記憶を失わないAIはどこか面白みに欠ける。結局二人称として付き合う時も一人称として失われた記憶を含めて「あなた」として受け入れないといけないということなのか。半分の花火を美しいと感じていいのか、最後までよくわからなかった。

監督:川村元気

脚本:川村元気、平瀬譲太郎

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