上野千鶴子先生と鈴木涼美さんの往復書簡である「限界から始まる」を読みました。なかなか整理しきれない訳だけど、こういう見方、こういう考え方があるのかというところはとても勉強になりました。
・AV女優を引退することはできるけれども、元AV女優を引退することはできない
・サルトルとボーヴォワールの関係:性が自由化し、愛が排他性を失っても、「運命の絆」は、余程多くの男女の心を掴んで離さない
・恋愛というゲームの場では、人は自己と他者についてとことん学ぶからです。恋愛は自分の欲望、嫉妬、支配欲、利己性、寛大さ、超越について教えてくれます。恋愛とは相手の自我を奪い、自分の自我を放棄する争闘の場です
・性にも暴力から交歓までのスペクトラムがあるように、愛にも支配から自己犠牲までのスペクトラムがあります。性も愛も理想化する必要はまったくありません。ですが、限られた人生で、自分の時間とエネルギーという限られた資源を豊かに使うなら、クオリティの高いセックスとクオリティの高い恋愛をしない方よりはした方がましです。たかがセックス、この程度の恋愛・・・と思う人には、それだけの報酬しか手に入りません。人には求めた者しか手に入らないのです。
・愛されるより愛す方が、欲望されるよりは欲望する方が、ずっとあなたを豊かにしますし、あなた自身について多くを学ばせてくれます。性も愛もなくても人は生きて行けますが、ないよりはあるほうがずっと人生を豊かにする経験は確実にあるものです。
・これまで男による女の「用途別使い分け」には、清野二重基準からくる生殖向き女(妻・母)か快楽向き女(娼婦・愛人)の二種類しかない
・結婚とは、自分の身体の性的使用権を、特定の唯一の異性に、生涯にわたって排他的に譲渡する契約のこと
・恋愛の中で人は他人を所有することも所有されることもできないことを学ぶ
・稼いだお金を払ってまでセックスしたがる男に対して、同じ行為をお金をもらってする自分、セックスを大切に保管している女性に対して、それを粗末に扱える自分は、優越感を持っていられます
・トランザクショナル・セックス(交易としてのセックス、又は経済行為としてのセックス)と呼ばれる交際関係は、タンザニアでは14歳から19歳の女性の80%、ウガンダでは19歳から19歳の女性の90%が経験しているといいます
・結婚が婚資との交換であることがふかく埋め込まれたアフリカ社会では、セックスに対価が伴うことは社会的・道徳的に容認された行為
・娼婦のプライドは「タダではやらせない」ことにある
・性が女にとって経済行為になる社会とは、圧倒的なジェンダー非対称性を前提としていることを忘れてはならない
・女も性に能動的になれるし、性から愛を切り離すことはできるけれど、会いに従属していた頃の性がやくそくしてくれた、性と引き換えに手にできる安心や満足が得られるとは限りません
・人を信じることができると思えるのは、信じるに足ると思える人たちと出会うからです
・「正しい」ことを追い求めるひとたちは、それ以外の少しでも「正しくない」ことにはどこまでも非寛容になりがちです
・社会変革とはホンネの変化ではなく、タテマエの変化だと考えています
・人のbehaviorは変えられるけれど、emotionやthoughtはそうは変わらない
・そもそも売春を禁止するタテマエがあるから、非本番系風俗やパパ活斡旋などが異常なまでに繁栄した日本のエロ業界は、タテマエの変化にものすごく逞しいわけです
・リベラリズムの自己責任論が前提としていることは、個人が完全情報下で自由に自己決定できる主体だという「神話」です
・あなたが今、何者であるかのほうが、かつて何者であったかよりも、ずっと大事です
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今月の読書 2冊
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