りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

深爪式

 深爪さんの「深爪式」を読みました。ダヴィンチの書評(「深爪式」ではなく「深爪流」)を読んで、何となく興味を持ってしまいました。Amazonの書評もかなり好意的。やっぱり買ってみるべきでしょうと思い、2冊まとめて購入しました。で、今日読んだのは一昨年出た「深爪式」。サブタイトルは「超えに出して読めない53の話」。サブタイトルの通り、確かに下ネタオンパレードではあるのだけど、「確かにそうだよな」と思うところいくつか。Amazonの書評に書かれていた評判通りでした。面白い。

・「サプライズ」を、相手を喜ばせるためのイベントと考えている人も多いと思うが、実際のところそれは究極の自己満足にすぎない。  相手の欲するものを確認もせず、「喜ぶ顔が見たい」と自分の善意を押しつけるのは愛情などではなくただの傲慢だ。
・人は他人を罵倒するとき、自分が言われていちばん嫌な言葉を無意識に選ぶ。つまりコンプレックスがまる出しになる、と思ってるので、私はなるべく感情まる出しで怒らないようにしています。
・自分の本当に大事なものを公開するのは弱点を晒すのと同義だと思っており、それを攻撃される可能性もあるので、長くツイッターを楽しむためにもなるべくその手の話はしないようにしています。
・「ネットで日記を公開する人間は、精神に異常がある」
・彼らの「過程」や「努力」を褒めてあげてほしい。 「結果」だけを褒め続けると、「もし結果が出せなければ見捨てられてしまう」という恐怖を常に抱えるようになり、失敗を極度に恐れる人間になってしまうからである。
・だいたい、満たされた人間はいちいち外野にアピールする必要がないのだ。  むしろ幸せであればあるほど、他人に口外したくないものである。なぜなら、満たされない人間からの理不尽な悪意を受ける可能性があるからだ。
・私は、価値観の違う人間に批判されたときにはいつも「この人はウンコを食うタイプの人なんだ」と思うようにしている。すると、「ウンコを食う人なら仕方ないか」と、みるみるうちに怒りが消えていくのだ。
・愛情とは「相手をこんなにも想っているオレ、すごい」という自己主張であり、単なるパフォーマンスだな、と思う。
・嫉妬とは「もう少しで勝てる(と思える)相手」にしか感じないものなのではないだろうか。
・己のなかに絶対的な価値観を持つことで、自分と何かを比較することがなくなり、苦しみから解放される。  もう、これはある種の「宗教」である。 「宗教」を持つ人間は強い。自分のなかに「絶対的なもの」がある人は迷わないからである。
・自分が信じ、「何よりも大切なもの」と思える何かを持つことで、比較は無意味となり、妬み嫉みランクづけなどから解放されるのではないだろうか。
・めんどくさい」から解放される最も有効な方法は、他人に押しつけることでも逃げることでもなく、「いま済ませてしまえば、あとはめちゃくちゃ楽になる」と自分に言い聞かせながら、さっさと仕事を片づけてしまうことなのである。
セックスレスは性欲の問題ではなく、人間関係の問題である。相手を大切に思う心を失えば、自ずと相手の心は離れていく。
・この一見単純に思える「親が子どもの質問に答える」が、子どもにさまざまな好影響をもたらす行為であることに、みなさんはお気づきだろうか。  新たな知識が得られる、というのは言うまでもないが、好奇心が満たされることで「また知りたい」と思う心が生まれ、継続的な知識の積み重ねが期待できる。  また、親がこまやかに対応することで、子どもは「関心を持たれている」と安心感を得られる。  そして、質問にかならず答えることで「親は期待を裏切らない」と思うようになり、信頼関係を築くことにつながる。  さらには、その真摯な姿勢に尊敬の念を持つようにもなるだろう。

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今月の読書 2冊