りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

反脆弱性(上)

タレブさんの「反脆弱性(上)」を読みました。この本、凄く面白いのだけど全然進まなかったな。夏休みの間、ずっと持っていたような気がする。 

脆いもの=脆弱性、環境変化の影響を受けないもの=頑健性というのが従来の議論。自分もそうだけど頑健なものが良いことのように思っていたけど、この反脆弱性というのは変化を取り込んで良い方向に向けるということかな。もちろん変化をすべてポジティブに変えることはできないけど、小さな失敗はむしろ良しとして、むしろ大きな変化からは大きなリターンを得ることが反脆弱性。久しぶりに、マークしたところ全コピペ。

・反脆さは耐久力や頑健さを超越する。耐久力のあるものは、衝撃に耐え、現状をキープする。だが、反脆いものは衝撃を 糧 にする。
・反脆いものはランダム性や不確実性を好む。つまり、この点が重要なのだが、反脆いものはある種の間違いさえも歓迎するのだ。
・システムに害をもたらす事象の発生を予測するよりも、システムが脆いかどうかを見分けるほうがずっとラクだ。脆さは 測れるが、リスクは測れない
・私たちはランダム性や変動性を抑えこもうとするあまり、経済、健康、政治、教育など、ほとんどすべてのものを脆弱にしてきた。
トップダウン的なもののほとんどが脆さを生み出し、反脆さや成長を妨げているとすれば、ボトムアップ的なものはみな、適度なストレスや無秩序のもとで成長する。発見、イノベーション、技術的進歩のプロセス自体を担っているのは、学校教育ではなく、反脆い いじくり回し や積極的なリスク・テイクなのだ。
・いちばん重要な倫理規範を挙げるとすればこうだ。他者の脆さと引き換えに反脆さを手に入れるべからず。
・妥協は容認だ。私が唯一従っている現代の格言は、ジョージ・サンタヤーナのものだ。「人間は、妥協のない誠意をもって世界を判断し、ほかの人々を判断してこそ、道徳的に自由といえる」。これは目標ではなく、義務なのである。
・反脆さと「耐久力」を一緒くたにしないでほしい。
・頑健なものや耐久力のあるものは、変動性や無秩序から害をこうむることも利益を得ることもない。一方、反脆いものは利益を得る。だが、この概念を理解するまでには少し労力がいる。人々が頑健だとか耐久力があるとか呼んでいるものの多くは、単に頑健な(耐久力がある)だけだが、残りは反脆いのだ。
・反脆くなりたいなら、「間違いを嫌う」状況ではなく、右側の「間違いを愛する」状況に身を置くべきだ。そのためには、間違いはしょっちゅう起こるが、一つひとつの害は小さいという状況を作ればいい。本書ではこのプロセスやアプローチを「バーベル」戦略と呼んでいる。
・社会が複雑になり、高度化や専門化が進むほど、崩壊に対してどんどん脆弱になっていく
・毒がなくなると人間はかえって脆くなるのかもしれないということと、少量の害が頑健さを手に入れる第一歩ということだ。
イノベーションを起こすには? まず、自分からトラブルに足を突っこむことだ。といっても、致命的ではない程度の深刻なトラブルに。私は、イノベーションや洗練というものは、最初は必要に迫られて生まれると思っている。いや、そう確信している。最初の発明や何かを作ろうという努力が思ってもみない副作用をもたらし、必要を満たす以上の大きなイノベーションや洗練へとつながっていく。
・社会が豊かになればなるほど、収入相応の暮らしをするのが難しくなる。人間にとっては、欠乏よりも潤沢のほうがずっと扱いづらいのだ
・ほとんどの人は暇な時間を無駄にしてしまう。暇な時間があると、人は機能が低下し、怠け、やる気をなくすからだ。忙しくなると、ほかの仕事もがむしゃらにこなすようになる。これも過剰補償の一例だ。
・賢いヴェネツィア人は、秘密だと偽って情報を広めるすべを知ってい
・嫉妬されないのは無能の証だ
・このインターネット時代、評判をコントロールすることなんて不可能だ。批判に弱い仕事などする価値がないし、評判を〝コントロール〟しようとしてはいけない。
・むしろ、エクスポージャーを変えることに専念するべきだ。
・ほぼ例外なく、奇抜な服装をしている人の評判は頑健であり、場合によっては反脆い。一方、きれいに髭を剃り、スーツとネクタイばっかり着けているような連中は、情報に対して脆い。
・人間の骨は、一時的なストレス(負荷) がかかると密度が高くなる。このメカニズムは、1892年に論文を発表したドイツの外科医にちなんで、「ヴォルフの法則」と名づけられている。
・私たちの見ている「老化」は、実は不適応と加齢の組み合わせであり、このふたつはどうやら切り離すことができるようだ。
複雑系では、情報がすべてなのだ。そして、情報の運び手は、私たちの目に入るよりもずっとたくさんある。これを本書では「因果の不透明性」と呼ぶ。
・骨密度の低下や骨の健康の悪化も、老化、糖尿病、男性の生殖能力や性機能の低下を 引き起こす のだという。
・ストレス(骨で いえば重量による負荷) が不足すると老化を引き起こす。また、ストレスを必要としている反脆いシステムからストレスを奪うと、システムに重大な脆さが生まれる。
・人体の反脆さには条件がある。それにはストレスの頻度が少し関係している。人間は慢性的なストレスよりも急激なストレスのほうがうまく対処できる。特に、急激なストレスのあとに十分な回復時間を取れば、ストレスがメッセンジャーの働きをしやすくなる。
・程度は軽くても継続的なストレスのほうが、間違いなく健康に悪い。
・社会科学者たちは、たとえば需要と供給のように、対立する勢力のバランスが取れている状態を表現するのに、「均衡」という言葉を使う。
・ひと言でいえば、均衡こそが経済の目指す先だとされている。
・社会科学者の実現しようとしている中身をよくよく調べてみると、目指す先には死が待っているかもしれない。
・非複雑系の非有機的なものの場合、(従来の定義でいう) 均衡は慣性という状態の中で実現する。 有機的なものの場合、(同じ意味の) 均衡は死によってしか実現しない。
・有機体や動的なシステムが正常な状態を保つには、一定の変動性、ランダム性、継続的な情報の交換、ストレスが必要だ。だから、変動性を奪うとかえって有害になることもあるわけだ。
・私の考える敗者というのは、失敗を犯しても反省せず、教訓も学ばず、失敗を恥ととらえる人たちだ。新しい情報を活かすのではなく、保身に回り、前進する代わりに失敗の言い訳をする人たちだ。そういう連中はたいがい、自分を大がかりな陰謀、卑劣な上司、悪天候の〝被害者〟だと考えている。
・政府の介入や社会政策の多くが、結果的に弱者を傷つけ、強者をいっそう強くしている。
・死に至らなかった経験が私を強くしたのではなく、私が 他人 よりも強い からこそ 死なずにすんだのだ。しかし、ほかの人たちが死んだので、弱者はいなくなり、平均的に見れば集団は前よりも強くなっている」
・自然は小さな間違いを歓迎するが(間違いなしでは遺伝的変異は起こりえない)、人間はその逆だ。そのため、人間の判断に頼ると、反脆さを軽視した心理的バイアスに陥ってしまう。
・無秩序は活気を生み出す。
・いわゆるカオス系は、面白いことにランダム性を加えることで安定させることができる。
・完全にランダムな弱い衝撃を加えたことで、カオスから秩序へと、状態の変化が起きたのだ
・変動性を人工的に抑えることの問題点は、システムが極端に脆くなることだけではない。同時にリスクが 見えなくなる こと
・実際、脆いシステムでは、物言わぬリスクが水面下で蓄積していても、システム自体は静かで、ほとんど変化がないことが多い。
・変化なくして安定なし。それが人生の摂理のひとつなのだ。
・ある部分に手をかけすぎる人は、別の部分で手を抜きすぎる傾向がある。
・干渉主義は精神的・経済的な資源を使い果たす。そのせいで、いちばん肝心なときに干渉できなくなるの
・システムに自然に備わっている反脆さや自浄能力を無視するのはやめよう、ということだ。そして、システムから自浄の機会を奪って、システムに害や脆さを与えてしまうクセを直そうということなのだ。
・先延ばしは、物事を自然の成り行きに任せ、反脆さを働かせる、人間の本能的な防衛手段なのだ
・重要なのは統計学上の〝テール〟の部分に存在する抑圧されたリスクであり、崩壊を引き起こした最後の砂粒を予見できなかったことではないのだ。
サブプライム・ローン市場の崩壊は危機の症状であって、根本原因ではないからだ
・反脆さとは、あらゆるストレスの生みの親である 時 の流れのもとで、物事が前進していく仕組みなのである。
・フクシマの事故を受けて、賢明な原子力会社は、事故の発生や確率を予測するよりも、むしろ 事故に対するエクスポージャー に注目するべきだと気づいた。
・測定不能で予測不能なものは、永久に測定不能で予測不能だ。ブラック・スワンの世界には、どれだけ高度な統計学リスク管理手法を使っても到達できない知識の限界があるのだ。
・ネロの考えでは、確率的な理解という幻想のもとに築かれたシステムは、必ず崩壊する運命にある。
・予測に頼る人々は、予測ミスに対して脆いからだ。
・金持ちになると、もっと富が増える喜びよりも、財産を失う痛みのほうがはるかに大きくなるので、常に精神的なプレッシャーを受けながら生きていくはめになる。
・物事が順調なとき、常に最悪を想定しつづけるのは難しい。だが、自制がいちばん必要なのはそういうときなのだ。
・運命の出来事から得るものよりも失うもののほうが多い場合、そこに非対称性が存在する。
・システムが脆ければ、改善や〝効率化〟の努力が崩壊のリスクによってみんな無意味になってしまうということだ。
・資産の 90 パーセントを平凡な現金や 価値尺度財 と呼ばれるもので持ち(インフレの影響はないものとする)、残りの 10 パーセントをこれ以上ないくらいハイ・リスクな証券で持っているとしよう。
・嫌いな人がいるなら、無視するか抹殺するかのふたつにひとつだ。絶対に〝口撃〟してはいけない。
インフレ・ヘッジを施したうえで現金に一定割合を投資し、残りを投機的な証券に投資するという形式に限るわけではない。破滅のリスクをゼロにする手法なら、どんな方法もバーベル戦略になりうる。
・バーベル戦略は単に、生存のための保険をかけるという考え方だ。つまり、選択肢ではなく必須条件なのだ。
・遊び人の 日和見主義は、人生やビジネスではうまくいく。でも、私生活や人間関係ではうまくいかない。
・忠誠を尽くすことは立派な心がけだが、人間関係や道徳のようなふさわしい場面で発揮してこそ意味がある。
・オプションとは私たちを反脆くしてくれるものだ。オプションがあれば、不確実性の負の側面から深刻な害をこうむることなく、不確実性の正の側面から利益を得ることができるのだ。
・日本文学研究者のアイヴァン・モリスは、著書『高貴なる敗北──日本史の悲劇の英雄たち』で、「誠」を貫いて敗れていった古代?現代の日本の悲劇の英雄たちについて記し、日本人の英雄像を描き出している。
・金融オプションが高額になることもあるのは、商品がオプションであることが明らかで、 誰かが手数料つきで売っていることがわかっているからだ。しかし、面白いオプションのほとんどは無料で、最悪でも安くてすむのだ。
・権利だけがあって義務がないという点ではどちらも同じであり、英語ではどちらも option である。
・不自然で有害なことがはっきりとしているのに古い技術にこだわったり、車輪つきのスーツケースのように、新しい技術に切り替えても未知の副作用が生まれることはないとわかりきっているのに、新しい技術を拒んだりするのは、どう見ても非合理的だ。
シュンペーターの書物を読むと、彼が不確実性や不透明性という視点で物事を考えていなかったのがわかる。
・元世界銀行エコノミストのラント・プリチェットによる調査をはじめとして、本格的な実証的調査の結果によれば、国全体で教育水準が上がっても、所得が高まるという証拠はないという。
・私は最初、経済理論は為替レートの短期的な動向を理解するには不要だと思っていた。だが、長期的な動向にも不要なのだとわかった
・物事を理屈でとらえると失敗するという以外に、もうひとつ教訓がある。頭にまやかしの知識や複雑な手法をいっぱい詰めこんでいる連中ほど、ごくごく初歩的な物事を見落とすということだ。
・彼が雇うのは、パターン認識に携わる物理学者や数学者だけだ。それも、物事の内部ロジックを理論化するのではなく、評価するパターン認識だ。
・講釈と実践(言葉では簡単に伝えきれない重要なこと) の違いは、主にオプション性にある。つまり、見逃されている物事のオプション性だ。
ギリシア神話には巨人の兄弟が登場する。プロメテウスとエピメテウスのふたりだ。プロメテウスは「先に考える者(先見の明を持つ者)」という意味だ。一方、エピメテウスは「あとで考える者(後知恵で考える者)」という意味であり、過去の出来事に理論を無理やり当てはめ、後付けで講釈を垂れる者を指している。
・オプション性はプロメテウス的で、講釈はエピメテウス的だ。前者は間違いが起こったとしても可逆的で穏やかだが、後者は「パンドラの箱(実は 壺)」を開けた結末を見ればわかるように、重大で不可逆的な結果を招く。
・思想が生き残るのは、対立する思想よりも優れているからではなく、その思想を持つ人が生き残ったからなのだ!
・自分の知識を過大評価している人は、(間違いに対して) 脆いということになる
・トレーダーたちは数式よりもはるかに高度だったという証拠が次から次へと見つかった。

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今月の読書 2冊

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