りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

正欲

朝井リョウさんの「正欲」を読みました。ガッキーが出演する映画の原作として認識して、かなり難しい話であることは判っていたのだけど、想像を超えて考えさせられてしまいました。自分たちは子供のころから「相手の気持ちを思いやる」という姿勢を学びます。その前提は「こういうことをされたら相手は嬉しく思うだろう」とか逆に「こういうことをされた相手は嫌がるだろう」というある意味でのコモンセンスが存在していることが前提での話だ。LGBTが語られて随分長いけど、まあそういう考え方というかそういう嗜好性があることは何となく理解できるようになってきていても、本当のところでその人を理解できているかというとやっぱりできていないような気がする。ただ想像で話ができるのはそこまでだ。そういうのを超えて、もっと特殊なものに性欲を感じてしまう場合、それは間違いなく多様性かも知れないけど、受け入れること、理解することができるのだろうか?それ以前に、理解しようという気持ちになれるのだろうか?理解できなければその人の行動も理解できない。それは単に「変な奴」「変わった奴」で済まされることなのだろうか?そして変わった行動の先に何らかの犯罪が結びついてしまったら、それは法で裁けるものなんだろうか?

理解しようとしない人と話をすることは非常に疲れる。一方的に自分たちが正しいというスタンスで、それが当たり前のように話しかけてくる。無視して済ませられることならそれでよいかもしれないが、必ずしも無視できないものもある。そして、その「理解しようとしない人」が特定の誰かだけでなく、世の中のほとんどすべての人、家族を含めたすべての人がそうであったらどうなるのだろうか?それは本当に辛すぎる。

とにかく表現できないくらい色々考えさせられる小説でした。

正欲

正欲

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