りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

スクリーンが待っている

西川美和監督のエッセイ集「スクリーンが待っている」を読みました。「すばらしき世界」を撮影し、編集していた頃のエッセイが中心。最初のところは役者の名前とかわざと伏せているところがあってもどかしいのだけど、後半はバッチリ役者に焦点を当てた文章もあり期待通りでした。役者としてはやっぱり役所広司さんなんですね。

この本の中に「語彙は、その人の人生そのもの」という言葉が出てくる。語彙なのかは判らないけど、この本を読んで、西川作品への理解が少し深まったような気がする。

ず、原作者というか原案の「身分帳」の作家である佐木隆三さんについて、「佐木作品が加害性のある存在をむやみに裁かず、突き放さず、また受け手の忌避感や怒りを 煽るばかりの悪人譚にも終わらないのは、その『腹をくくって付き合う者のまなざし』があるから」と書いていて、「すばらしき世界」の視点が改めて判ったような気がした。

また、「ディア・ドクター」と八千草薫さんについては、「なかなか死ねないことへの憂鬱がこの国に生きる高齢者に紛れもなく存在していることは、地域医療を取材する過程でも実感させられている。・・・かづ子が医療を頼るまいとするのは、それが否応無く『生』を強要するものだという恐れからで・・・死に逆らって自分の生をむやみに引き延ばそうとすれば、自身の生活環境も、周りの人間の人生も変えてしまうことをかづ子が望んでいないこと」と述べている。また、そのかづ子を演じた八千草薫さんには、「すばらしき世界」の三上の母を演じてほしいと願った訳で、それは、「八千草さんの、女としての絶妙な『枯れ』と、道に迷っていても、泣かずに佇んでいる子供のような 凜 とした強さが、必要だったから」というのが微妙だけど何となく判り易い表現。こういうのを作品から感じて、表現できないといけなかったんだなと改めて思ってしまいました。八千草薫さんについてはさらに「月に何十もの映画を量産するプログラムピクチャーの時代をチームプレーで乗り切り、テレビドラマの黄金期に、一言一句の変更も許さない鬼才の脚本家たちの作品を担ってきた人に備わった、確実な技術と誇り。何度やっても全ての動き、台詞の音程や間にブレがなく、監督である私の注文には、疑問符もつけずに静かに耳を傾けてくれる。台詞回しが抜群に 巧 い役者は、指先を動かす仕草だけをヨリで切り取っても巧い。肉体の末端にまで神経が行き渡り、その支配の仕方を魔法使いのように知っているのだ」とも言っている。凄いです。

 最後に、自分について「人間の中に巣くうどうにもならないものばかり探っている気が

 する」と語っている。これもなるほどです。

スクリーンが待っている

スクリーンが待っている

 

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