りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

映画にまつわるxについて

 西川美和監督の「映画にまつわるxについて」を読みました。本当は本とか読んでいる場合ではないのだけど、ミーティングのために出社して、往復の電車の中ではどうしても問題集が開けず、また読書に逃避してしまいました。

さて、この本。西川監督が映画の構想から撮影をしている裏側で、時々に書いた映画に関連するエッセイ集。「2」もあるし、先日読んだ「スクリーンが待っている」もあることから判るように、作品としては「蛇イチゴ」「ゆれる」「ディアドクター」「夢売るふたり」の時期にかぶったり、あるいは回想して書いているものが多い。一つ一つ面白いのだけど、やはりモノづくり、感性のモノづくりをしているんだなと思われる文章がいくつか。

・みんな、情報が欠落することにおびえ過ぎている。「解りづらい」という相手には、とにかくあるだけの情報を全部ぶちまけておけばいい、という方法論でモノを作っていくと、間違いなく受け手の感受性や想像力は退化して行き、与えられたもの以上の推察をする力を失ってしまう。

・映画は言葉を尽くした散文よりも、行間から様々に想像を巡らす詩や俳句に似ていると、私は思う。楽しむ上で最も大切なのは、視力、聴力よりもむしろ、鋭敏な注意力と、豊富な想像力なのだ。

あと、太宰治について、以下は坂口安吾の言葉の引用。

・太宰の失敗は、ただ一つ、自殺にとうとう成功したことだと思う。あの作品群を、最後まで自らは死なないひとの作品として残してくれたらば、太宰は弱虫のブンガクにはならなかったのに。フィクションとは、噓ごとであるというところが、素晴らしいものなのに。あの作品群は、そもそも自殺をした太宰が書いたのじゃない。自殺をする前の、生きた太宰が書いた噓ごとなのに、それが自殺を果たしたせいで、まるで噓ごとではないように見えて、本来の輝きを失ってしまった。

 

ハイコンテクストな映画にあこがれて、西川監督の作品は間違いなくそういう作品なのだけど、映画評で絶賛されているほど入り込めず、でもエッセイを読んでその意図や表現がわかるにつれて、少し理解が進んだような気がする。もう少し、理解を深めたい。 

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