りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

危機と人類(下)

 下巻で取り上げられているのは、ドイツ、オーストラリア、日本(現代)そしてアメリカ。上巻で幕末~明治維新の日本は絶賛されていましたが、現在の日本はかなり厳しい。特に感じるのはドイツと異なる第二次世界大戦に対する清算かな。もちろん、現在直面する危機はあるのだけど、やはり認識の問題はとても大きく、日本人としては違うのではないかと思うことも、そう見えるということなのかもしれない。

現代アメリカの抱える課題はある意味世界の課題。一番課題として認識されていたのは格差の拡大ではなく「アメリカ人全体が二極化し、政治的妥協を受け付けなくなっている」ということ。民主主義に備わっている利点として、ダイアモンド先生は「運用に際して妥協が必要不可欠であるという点」を挙げている。妥協は権力の座にある者の暴政を抑制することに繋がるらしい。それと、経済格差も問題、地球環境問題(特に二酸化炭素排出による温暖化問題=異常気象)も問題であることはあえて語るまでもない。

ダイヤモンド先生は現代の世界の問題として3つを挙げている。核兵器と世界的気候変動、そして、必要不可欠な自然資源の世界的枯渇。どうも先進国は途上国の一人当たり最大32倍の資源を利用しているらしい。世界の人口が増えても、途上国で増えている分にはあまり問題なかった。しかし、増えている途上国で一人当たりの資源消費が先進国並みになってきたら・・・確かに想像を絶する話になる。グローバル化が明らかにこれを後押ししている。グローバル化は3つの課題を引き起こしている。ひとつは貧困国から富裕国への新しい病気の拡散。2つ目は貧困国の多くの人々が、世界の他の地域で営まれている快適なライフスタイルを知り、不満と怒りをつのらせていること。そのなかにはテロリストになるものもいるし、多くはテロリストにならずとも、テロリストを容認あるいは支持している。そして、3つめのは、低消費生活を送ってきた人々が高消費のライフスタイルを求めるようになることである。そう資源消費だ。人類史上初めて、真の地球規模の課題に直面しているとダイヤモンド先生は指摘する。

さて、この本の結論はどこにあるのだろうか。危機、つまり何か大きな悪いことが突然起こるほうが、ゆっくりと進む問題よりも、また、何か大きな悪いことが将来起こりそうだという見通しよりも、人々に行動を促す。まず、世界規模の危機がそこまで来ていることは明らかだ。そして、この本で述べられてきたように、国の場合は、まず自国が危機のさなかにあると認識すること。他国を責め、犠牲者としての立場に引きこもるのではなく、変化する責任を受け入れること。変化すべき特徴を見極めるために囲いをつくり、何をやっても成功しないだろうという感覚に圧倒されてしまわないこと。支援を求めるべき他国を見出すこと。自国が直面している問題と似た問題をすでに解決した、手本となる他国を見出すこと。忍耐力を発揮し、最初の解決策がうまくいかなくてもつづけていくつか試す必要があるかもしれないと認識すること。重視すべき基本的価値観ともはや適切でないものについて熟考すること。そして、公正な自国評価をおこなうことだった。これから世界が向かうべきところは何とも明らかだということだろう。

危機と人類(下)

危機と人類(下)

 

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