りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

ブッダ 真理のことば 法句経

本日も引き続いて、佐々木閑先生の「ブッダ 真理のことば」を読みました。どうも読む順番を間違えたかもしれない。本来なら、これを最初に読んで、「般若心経」「涅槃経」という形で読むべきだったような気がします。ダンマパダ=真理のことば=法句経ですが、ブッダの時代に近い古い段階のお経(ニカーヤ=阿含経)の一部ですね。

最初の方はブッダの教えと大乗仏教の話。流石に三回目なので良く判りました。

で、真理のことば。ブッダによれば、この世の真理には「苦諦」「集諦」「滅諦」「道諦」という四つの局面がある。苦諦とはこの世はひたすら苦しみであるという「一切皆苦」の真理。集諦はその苦しみを生み出す原因が心の中の煩悩だと知ること。滅諦とは、その煩悩を消滅させることで苦が消えるという真理。そして、道諦は煩悩を消滅させるための具体的な八つの道(八正道)を実践することである。そして、八正道とは正見(正しいものの見方)、正思惟(正しい考え)、正語(正しい言葉)、正業(正しい行い)、正命(正しい生活)、正精進(正しい努力)、正念(正しい自覚)、正定(正しい瞑想)の八つなる。

さて、煩悩のうち一番大本となる煩悩は「無明」、つまり物事を正しく、合理的に考える力が欠如しているという本質的な暗愚だと指摘している。苦は、それを生じる根本のスタート地点として「無明」があり、以下、「行」→「識」→「名色」→「六処」→「触」→「受」→「愛」→「取」→「有」→「生」→「老死」の順番で展開しているという。これを流転門といい、このプロセスを理解した上で心の修練を繰り返し、最初の無明を滅することができれば、各段階が消えていき、最後に老死の苦しみも消えるという流れ。これを還滅門というらしい。

それから執着。執着は、自分中心の世界観から発生するもので、自分中心の考え方に立つ限り、欲望は消せない。この世の一切の事物は自分のものではないと自覚して、自我の虚しい主張と縁を切った時、執着とも縁が切れ、初めて苦しみのない状態を達成できると説いている(諸法無我)。

最後に、認知脳学者の藤田一郎先生との対談が載っていて、科学と仏教の接点が見えたような気がした。錯視の例が出ていたけど、網膜に写った像を認知の力で補正する見方を脳は持っている。正しく見るということはどういうことなのか。佐々木先生は「科学というのは、その集中した精神を使って、外界の法則を知ること。そして仏教というのはその集中した精神を使って、自分の心を観察して、それを変えようとするもの」と整理している。そして、最後に「苦しみや悲しみの感情に溺れてしまったとき、人は正しい判断ができなくなったり、自分を追い詰めてしまうことがある。そんな時こそ、自分の状況を客観的に把握し、生き方を変える勇気が大切で、ブッダは苦しみから逃れるためには強い意思が必要だと説いたのだと思います」と結んでいる。少しずつ分かったような気がしている。

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