りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

道元 正法眼蔵 わからないことがわかるということが悟り

ひろさちやさんの「道元 正法眼蔵 わからないことがわかるということが悟り」を読みました。年明けに菩提寺から勧められた「国家を超える宗教」を読んで、少し仏教というもの、道元という人に興味を持ち、彼の著作である「正法眼蔵」の入門書にトライしてみたのだけど、やっぱり難しすぎる。そんな中でこの本に出会い、入門書初級編という位置づけで読んでみました。そして、多少は判ったような気がしました。

まず、正法眼蔵の意味。「蔵に収められた経典も(曇りのない、対象を正しく捉える)眼をもって読み取れば、仏の教えを正しく理解できる」ということらしい。

少しだけ自分がある程度分かったこと・・・

最初に出てくるのは「不立文字・以心伝心」。文字(言葉)を立てずに、心から心へと真理を伝えていくことが禅だということ。次に出てくる言葉は「心身脱落」。この言葉は道元禅師が良く使う言葉らしいけど、悟りでもあり、直接的には「あらゆる自我意識を捨ててしまうこと」とまずは理解する。悟りは求めて得られるものではなく、悟りを求めている自己の方を消滅させる=心身脱落させるということらしい。そして、悟りの世界に溶け込むことが、悟りということらしい。そして、道元禅師によれば悟りの世界に目覚める、あるいは悟りの世界に溶け込むということは、自己を脱落させると同時に他己をも脱落させる、自己を忘れ、他己を忘れるということらしい。

ちなみに、仏教においては自力も他力も究極的には仏の助けによって救われるらしい。自力は最初に仏の力の働きかけがあって、その上で自分の力を加えていくという考え方。他力はすべてを仏の力に委ねるという考え方の違いらしい。

あと「悉有仏性」ということば。道元禅師によれば悉有(全宇宙)が仏性ということらしい。「時節因縁」=そのときそのときのあり方。結局、今を生きることが大切ということなのだけど、この辺は要復習。

なぜ、修行が必要なのかというと「仏性を仏性として活性化させるためには、修行が必要」という文脈。そして、修行=坐禅ではなく、日常生活すべてが坐禅であり修行ということらしい。なるほどこの辺で、日常生活の作法が大事なことが結びついてきます。そして、悟りが目的で修行が手段なのではなく、修行の中に悟りを見、悟りの中に修行がなければならない、それが道元禅師の考える禅ということらしい。そして、修行して仏性が活性化されれば、悪をやめなさいと命令されずとも、自然と悪から遠ざかっているということに繋がるらしい。

〇ダンマパダ<法句経>

諸悪莫作(諸々の悪を作すこと莫れ)

衆善奉行(衆の善を奉行せよ)

自浄其意(自ら其の意を浄くせよ)

是諸仏教(是が諸仏の教えである)

〇実践すべき4つの徳目<四摂法>

布施(ふせ)貪らないこと

愛語(あいご)人に接した時、まず慈愛の心を起こし、いたわりの言葉をかける

利行(りぎょう)他を利することは自分を利することになり、自分をリスクrことは他を利することになる

同時(どうじ)相手と自分は同じ人間だと思うこと(相手の立場で考えること)

〇八大人覚

一、少欲 物足りないものを、物足りないままにしておくこと

二、知足 与えられたものを、全部が全部自分のものとしないで、一部を他人のために回すこと (足るを知る)

三、楽寂静(ぎょうじゃくじょう) 寂静を楽しむ。喧噪の場所を離れること

四、勤精進(ごんしょうじん) 精進に勤める。おのれ一人の利益のためにがんばらないこと

五、不忘念(ふもうねん) 常に仏法を思っていること

六、修禅定(しゅぜんじょう) 心静かに審理を観察すること

七、修智慧(しゅうちえ) 智慧を修得すること

八、不戯論(ふけろん) 物事を複雑にせず、あるがまま、単純そのままに受け取ること

〇釈迦の言葉 過去を追うな。未来を願うな。ただ現在を生きよ

 

もう少し勉強します。

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今月の読書 2冊