「サピエンス全史」や「ホモ・デウス」の作者でもある歴史学者のハラリ先生が「パンデミック」について語った寄稿とインタビューを読みました。もちろん、歴史的にはパンデミックというのは過去に何回かあって、その教訓というのもあるし、ある意味不意打ちで発生し、その拡散を止めることはできないのも事実。
ただ、ハラリ博士はパンデミック抑え込みに短期的に有効な「封鎖」と「監視」に対して警戒を呼び掛けている。
まず、封鎖。水際対策としての国境封鎖は一時的にはやむを得ないものの、それが反グローバリズムであってはならない。パンデミックを真に抑え込むのは情報の流通。ある国で確認された事実や対策を世界が共有して(グローバルな団結)こそ真のパンデミックの封じ込め、安全の確保が可能となると提言している。
また、現状、感染拡大防止には監視の技術が大いに役立っている。ただ、それをどこまで認めてよいものなのだろうか。技術は進歩している。監視されるのは行動だけではない。体から発せられる生理的なデータまで監視できるのが今の技術だ。独裁者の演説に不快な思いをしている生理的な反応まで監視が可能となっとき、何が起こるか。監視こそ民主的にやるべきだということ。パンデミックの抑え込みに有効だというだけで、監視を全面的に受け入れてはならないと警鐘を鳴らしている。
相変わらず歴史に対する深い洞察と哲学的な考察は流石という作品。もっと前に読んでおくべきでした。
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