りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

教養としてのAI講義

 

メラニー・ミッチェルさんの「教養としてのAI講義」を読みました。まず、この本のまえがきにホフスタッターさんの「ゲーデルエッシャー、バッハあるいは不思議の環」の話が出てくるのだけど、とても懐かしい。学生時代に買った本。1985年の本らしいけど、自分が買ったのは1986年で修士を修了する直前だったかな。理工学部の生協に凄い平積みされていて、この本を読まないと理工学部の生徒じゃないくらいの雰囲気で売れていたけど、今でも本棚の目立つところに立っています。本当に懐かしい。

で、この本。網羅的に最新の動向が書かれているようなきがして、確かにAIの基礎知識を知るためにはうってつけの本。ただ、正直細かい技術がどういう歴史をたどって、今どれだけ凄いかという話はおいておいて、やっぱり、現在のAIは「理解する」というところにたどり着いていないんだなということが判ったことが収穫。翻訳が判り易かったのだけど、現状では一つの文を訳すことはほぼ問題ないが、パラグラフ全体から意味を読み取って解釈するというところは十分でないところがある。特に文意を解釈して代名詞が何を指しているのかとか、まだ改善の余地があるらしい。そういうところが実務でどういう影響をするかというと、全体として概ねOKなのだけど、そして平均ではもしかしたら人間を上回るのかも知れないけど、時として、全く頓珍漢な間違いを犯してしまうということが起こるらしい。そして、その壁を乗り越えることは、とても大変なことかもしれないということ。完成度が9割まで行きつくのには、全行程の1割しかかかっていない。逆にいうと、完成まで残り1割を進めるのに、これまでの何倍もの工数が必要ということ。そのことが判っただけで、大きな収穫だったような気がする。

[DATA]

今月の読書 2冊

1月からの読書 14冊