りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

もっと言ってはいけない

橘玲さんの本はいつも刺激的。「AI vs 教科書が読めない子供達」で最近の子供はそもそも教科書が読めないという話にちょっとした驚きを覚えたけど、橘さんによるとこれは今に始まった話ではなく、昔からそうだったということらしい。それでも昔ややれる仕事があったけど、これからは厳しくなるんでしょう。それでも日本は教科書が読めるという点では世界的にはかなり高いレベルにあることは間違いない。

この本は、遺伝的に、つまり生得的に人間には差があるということを言っている。フェミニズムやリベラルは生得的ということを認めたがらない。でも、それは完全たる事実。前回の本も含めてその主張は変わらない。今回は、日本人に切り込んだところが特徴かもしれない。 

・農業が現生人類に与えた最大の変化は、食糧を求めて少人数で広大な大陸を移動する狩猟採集生活から、土地にしばりつけられた人口密度の高い集団生活に移行したことだ。これによって人類は感染症の危険にさらされることになって免疫機能を発達させ、炭水化物を大量摂取しても糖尿病になりにくい体質へと〝進化〟した。

・貯蔵できる穀物は「所有」の概念を生み出し、自分の財産を管理するための数学的能力や、紛争を解決するための言語的能力が重視されるようになった。

 ・農耕社会では、温厚な気性が選択的に優遇されたのだ。・・・知能とは別に、努力、勤勉、信頼性などの要素(自己コントロール力)が付加価値になっているのだ。

 ・日本人・中国人・韓国人は(白人と同程度に)知能が高く、性格的に真面目で内向的だから、ポジティブ志向のアメリカ社会ではリーダーにはなれないかもしれないが、賃金の高い専門職にもっとも向いているのだ。

 ・東アジア系は遺伝的・生得的に脳内のセロトニンが少ないことで不安を抱きやすく、強いストレスにさらされるとうつ病を発症するが、その代償として必死に勉強し、真面目に働いて倹約にいそしむことで、アメリカ社会で経済的な成功を手に入れたのだ。

 ・日本人は遺伝的に、特定の環境では大きな幸福感を得ることができるものの、それ以外の環境ではあっさり枯れてしまう「ひ弱なラン」なのだ。

 ・生得的な敏感さは、変化やリスクを極端に嫌い、お互いがお互いを気にする「高コンテクスト」の社会をつくりあげてしまう。複雑な尊敬語や謙譲語で相手の立場を忖度しなければならない日本社会はその典型で、誰もが感じる生きづらさは、私たちが暮らしているのがタコツボ型の「道徳警察社会」だからだ。

 ・他人や世間を変えることができなければ、自分が「嫌われる勇気」をもつ以外ない。いまいる場所から動くことができないなら、「置かれた場所で咲く」ほかはない。だが残酷なことに、「ひ弱なラン」はどこでも花を咲かせられるようには 遺伝的に 設計されていない。幸福になりたければ、「咲ける場所に移る」ほかないのだ。

 ・日本人の不幸は、遺伝的にストレスに弱いにもかかわらず、文化的に高ストレスの環境をつくってしまうことにある。

 ・高度化した知識社会では、高いIQは社会的・経済的な成功をもたらす。だがもうひとつわかっているのは、知能とアスペルガーのリスクとのあいだに強い相関があることだ。IQ130を超えて 10 上がると、自閉症スペクトラム上に乗るリスクは倍になる。

・極端に高い知能がなんらかの神経症精神疾患と結びついているからかもしれないし、社会のなかでの少数派(マイノリティ)として陰に陽に差別されているからかもしれない。  

もっと言ってはいけない (新潮新書)

もっと言ってはいけない (新潮新書)

 

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