りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

きことわ

予定通り朝吹真理子さんの「きことわ」を読みました。こういう作品は難しい。今日も村上龍さんの選評から引用すると、「失われた時間は取り戻せないが、それはそれで美しいし、現在とつながっている」というまとめ方をしてくれている。確かにそういう作品でした。これが高樹のぶ子さんだと「五感の冴え」と一言でまとめ、「『きことわ』は触覚、味覚、聴覚、嗅覚そして視覚を間断なく刺激する作品」となる。正直ストーリーとしては私の好みではありませんでしたが、技巧派っていう事なんだと思います。ちなみに「きことわ」っていうのは、おそらくなんだけどこの小説出てくる主人公の貴子(きこ)さんと永遠子(とわこ)さんから来ているんでしょうね。でも「きことわ」っていう言葉にすると、何となくその言葉の響きがいい。おそらく、そういう技巧があって、あとは25年間の時を隔てた二人を描くというところにポイントがあったのかと思います。昨日の苦役列車もそうなんですが、結局これで何を訴えたかったのかはちょっと不明。そういうものを小説に求めてはいけないのかも知れません。

きことわ

きことわ

[DATA]
今月の読書 7冊
1月からの読書 12冊

ところで、今朝「めざましテレビ」を見ていたら、週刊ブックランキングで「苦役列車」はランクインしていましたが、「きことわ」はランクインしていませんでした。選評を読む限り、「きことわ」の方が問題なく決まったようで、作品としての評価はやや高いような気もするし、申し訳ないですが慶應大学大学院に在籍中の朝吹真理子さんと中卒、逮捕歴有りの西村賢太さんでは作家としても朝吹さんの方が期待させるものがありますが、本を読むモチベーションは人それぞれ。自分もそうでしたが、何となく「苦役列車」の世界を覗いてみたい衝動にかられてしまいます。結論から言うと、ちんけな優越感を感じたいだけなのかも知れません。苦役列車を読んで、「こんな奴らどうしようもないな」と思い、「まだ自分の方がまし」というような些細な、本当に些細な優越感を感じたいだけなのかも知れません。故にそこに救いがあってはいけなくて、やがて無縁社会につながってしまうんだろうなと思わせるところがある意味良かった点なのかもしれません。いずれにせよ、芥川賞の2作品を読みました。でも、結論はこれらの本からのメッセージを今ひとつ受け止める事ができませんでした。毎回、芥川賞作品はちょっと自分の評価軸とずれていて、それはそれで面白い感じがしています。この評価軸のずれは、小説というものに期待するものの違いなのでしょう。文章としての完成度とか作品の構成とかの完成度を期待するのか、ストーリーとメッセージに期待をするのか。昔、純文学作家とベストセラー作家を扱った小説がありましたが、これによると前者は技巧というよりどちらかというと人間の内面を赤裸々に描くところが評価されていて、決して経済的に豊かではなく、愛人と思うままに駆け落ちなどしてしまう人で、後者はストーリー性で一般から高く評価され、経済的には恵まれているが、仕事に追われて私生活ではあまり恵まれていない感じの描かれ方をしていました。こういう違いなのかも知れません。