りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

じいさん 200130

昨日も今日も見舞いに行けなかったけど、今日は奥さんが見舞いに行ってくれた。ベッドの上でほとんど目を開けることもないようだけど、奥さんが行ったときは少し目を開けて手を上げてくれたらしい。食事は当たり前のように取れていない。経口摂取できているのは水だけ。それでも薬はしっかり飲もうという意識があるらしい。以前は小声ながらも何らかのやり取りがあったようだけど、最近は会話はほぼなく、意思表示は手を振ったり、首を振ったり程度とのこと。

会社からの帰り道、電車を降りて歩きながら、最後に親父さんとまともに会話した時のことを思い出した。12月29日だったかな。歯が痛くて、お腹が空いているのに食事ができないといっていた。もう、かなり痩せていたような気がする。歯だけの問題でなく、口内炎も酷かったような気がする。あの時は、歯が治ればまた食事ができるようになるものと思っていた。会話は普通にできた。「もう、死んじゃったほうがいいんだよな。でも死ぬのは怖いな」という会話だったような気がする。元旦にあった時は、慎平を見て「マー君か」といったのを覚えている。何ボケてんだよ・・・ってあの時も思っていた。12日に会った時は、もうかなり弱っていた。会話はほとんどなかったけど、車椅子に載せてこちらの問いかけに首を振ったりする形で意思疎通が普通にできていた。栄養剤か何かを注入すればまだ復活する可能性があると思っていた。この時は妙に達観したように見えた。ずっと痛いとか文句ばかり言われていたけど、この時は妙にスッキリして穏やかな感じがした。その後は・・・明らかに下降線。医師の説明を聞いた22日以降は明らかに看取りの段階に入ったような気がする。本人が医師の宣言を聴いたわけではないけど、そういう雰囲気を感じたのかもしれない。たった10分くらいの間にそんなことを思い出していた。まだ、親父さんは頑張っているのに涙が出てきた。

お袋の死はあまりにも突然で、本当に何も恩返しができなくて後悔ばかりだった。その後、家族と離れて親父さんと丸4年と1か月実家で2人で暮らした。介護といえるほど介護はしてないけど、洗濯と食事の世話とあと少し。施設に入ってからもうすぐ丸5年になる。余程のことが無い限り、週末土日のどちらかには施設に顔を出すようにした。最初は散歩に付き合い、昨年も車椅子で外出は何度か。できることはできる限りやった。後悔はないはずと思ったけど、今その時期が迫ってくるともっと何かできたんじゃないかという後悔しかない。まさか自分が泣くとは思わなかった。