りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

ブレイディみかこさんの「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読みました。素直に面白かったです。アイルランド人と結婚して英国に在住している日本人の女性が、自分の息子(丁度中学校に入る頃)の子育てを通して見える、イギリスでの暮らし・・・のコラム集です。 住んでいるのもロンドンではなくブライトンという英国南端の街。ご主人は銀行を辞めてダンプの運転手をやっている人。いい方は悪いかもしれないけど、庶民。しかもアイルランド人と日本人(東洋人)ということもあって、多少の差別も受けている。イギリスは日本より移民が多く、ダイバーシティな世界のようだけど、やはりそこにはいろいろあって、多分これからの日本を考えるうえで大事な何かが詰まっているような気がしました。

・頭が悪いことと無知ってことは違うから。知るときがくれば、その人は無知ではなくなる。

・多様化した社会のレイシズムには様々なレイヤーが生まれていて、どんどん複雑になっていく。移民と一口にいっても色々な人種がいるし、出身国も違う。移民の中にも人種差別的な言動をとる人はいるし、やられたらやり返す人たちもいる。その攻防戦を見ている英国人は英国人で、どちらかの肩を持って他方に差別的言動をとったりする。

・エンパシーとシンパシーとの違い。シンパシーは「感情や行為の理解」なのだが、エンパシーの方は「能力」なのである。エンパシーの意味は「自分がその人の立場だったらどうだろうと想像することによって誰かの感情や経験を分かち合う能力」・・・シンパシーは感情的状態、エンパシーは知的作業と言えるかもしれない。

・学業で優秀な学校が水泳でも優秀なのである。親の所得格差が、そのまま子供のスポーツ能力格差になってしまっているのだ。・・・いまや親に資本がなければ、子供が何かに秀でることは難しい。

・政府があまり小さくなると「恵まれない人に同乗するならあなたがお金を出しなさい。そうしないなら見捨てて、そのことに対する罪悪感とともに生きていきなさい」みたいな、福祉も自己責任で各自それぞれやりなさいという状況になるのだ。

・この国の緊縮財政は教育者をソーシャルワーカーにしてしまった。

FGM(Female Gential Mutilation=女性器切除 女性割礼) 英国内では80年代から違法になっており、残酷な自動虐待として厳しく禁止されているが、FGMが慣習となっている一部の移民コミュニティでは密かに行われているという。

・人種差別というものは、他人に嫌な思いをさせたり、悲しい思いをさせるものだが、それだけではない。「チンキー」とか「ニーハオ」とかレッテルを貼ることで、貼られた人たちを特定グループに所属している気分にさせ、怒りや「仲間感」で帰属意識を高め、社会を分裂させることにも繋がるものなのだ。

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

 

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