りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

大地震

生涯、きっと何度も思い出すことがあるであろう一日になりました。東北で大地震が発生。地震が発生したとき、自分は天下の三菱商事の29階の会議室でミーティングをしていました。丸の内パークビル。最新の免震技術で作られた高層ビルは不謹慎ながら、ディズニーランドのアトラクションに乗っているような緩やかな揺れ。隣の高層ビルも大きく揺れていて、その先にはスカイツリーや建設中のビルの上にあるクレーンがこれでもかという揺れを起こしている。でも、少しきしんだ音が聞こえる意外は、まったく安全な感じ。何かとんでも無い事が起こっているのかもしれないけれど、ここにいる限り大丈夫という感じでした。すかさず、i-phoneで情報を収集してくれた商事の人から、「宮城沖でとてつもない大地震が起こっているらしい」とのこと。3時に終わる予定だったミーティングの最後が少し尻切れトンボ。でも、とりあえず、これにて失礼という感じで、29Fの受付に戻ったところで再び激しい揺れ。エレベータが止まり、全員待機のアナウンス。最寄の会議室で、たまたま居合わせた別のお客さんたちと含めてワンセグのテレビで情報を得ながら待機。交通機関も止まったらしい。最初はすぐに復旧すると思っていたので、地下鉄が動くまではここで待機かな、東北は大変だなくらいに思っていましたが、奥さんから「大丈夫?」というメールあり。関東も家族の安否を確認するくらい大変ってこと?しばらく通じなかった携帯電話が4時過ぎにつながり、奥さんと話したところ、埼玉も大きな揺れで、奥さんの会社は棚から荷物が落ちたとか。家に戻って確認したら、お父さんの部屋は机の引き出しも全部飛出し、本棚は倒れていないけど本は散乱。CDラックも倒れているし、パソコンも1台ラックから落ちたとのこと。大切なコルナゴも倒れてますよとのこと。本棚やタンスに地震対策のツッパリ棒していたのが良かったですね。これがなかったら全部倒れていたかもしれない。とにかく、生まれて初めて地震の被害にあったという感じでした。地震直後にBCP体制が敷かれた三菱商事では顧客であるわれわれにヘルメットと簡単な食料の提供があって、しばらく待機してくださいとの指示。それでも、5時過ぎに帰りたければビルの外に出てもよいとのことに。交通機関の復旧のめどは立ちそうに無かったので、29Fから階段で1Fまで降り、丸の内から永田町のオフィスまで徒歩で帰社。街は徒歩で帰宅する人であふれかえっていました。
帰社したところで、安否確認等のほかカンパンと保存水とコンビーフとアルファ米の支給があって、徒歩で帰る人は少しずつ帰っていきました。私は9時半過ぎに、永田町を出て、文京区にある実家へ、1時間と少し歩いて帰りました。家に電話。幸い、家にいた慎平君はまったく無事。ただ、里緒ちゃんは学校で被災。学校の送迎バスで最寄駅まで送ってくれるとのことですが、11時半の時点でまだ戻っていないとのこと。自宅は停電と断水で何もできず、スーパーもコンビニも何も売っていない状態とか・・・とりあえず、最低限ものはそろっているので大丈夫という奥さんからのメールでとりあえず、長い一日が終わりました。