りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

「与える」はそぐわない

今日の日経のスポーツ欄のアナザービューは武智さんのコラムでした。タイトルは「『与える』はそぐわない」です。答えはコラムのなかほどに。「今回の大震災を通して被災者の振るまいなどから、いろいろな『気づき』や『勇気』を被災していない側はもらった。お礼を言いたいのはむしろこちらではないか。そう考えると、どうしても『してあげる』『与える』という言葉がそぐわないように思えるのだ。」である。そして、サッカー日本代表の長谷部、中澤、プロ野球楽天の嶋の言葉につながる。「今度はぼくたちが皆さんを応援する番」(長谷部)、「すべての人たちの思いを込めて、力をひとつに」(中澤)、「見せましょう、野球の底力を」(嶋)である。そこには何かを渡す前に受けとっものがあるという自覚がはっきり感じられたというのだ。私はむしろ「情けは人のためならず」だと思っている。何かを受け取った(過去形)だからだけではなく、(未来形として)、何かを受け取るかもしれないから、今は被災地の人の力になりたいという気持ち。もっというと、give & takeではなく、素直に助け合いたいという気持ち。それは確かに上から目線とか施しのニュアンスではなく、緩やかな仲間意識とでもいうのでしょうか。でも、武智さんの主張はもう少し奥が深い。本当は「言葉の重さをきちんと考えよう」というところ。「震災で傷ついた人々を、心ない言葉でさらに痛めつけることがないように」という配慮。「与える」という言葉に、言葉の暴力のようなものを感じたのでしょう。この辺は、言葉を生業としている人の感性なんでしょうね。心したいと思います。