りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

探求する精神

大栗博司先生の「探求する精神 職業としての基礎科学」を読みました。GW中もそうだったのだけど、なかなか読書する時間が取れなかったのだけど、この本はとても面白かったし刺激になりました。

子供のころから、どんな本を読み、どんな勉強をし、どんな研究をして今の仕事につながっているのか。学習、研究という視点からの自叙伝的な一冊。年齢が近いこともあってか、学生時代に手にした本は意外に似ていました。消化の度合いは全然違うのでしょうけど。超弦理論の専門家でありながら、物理学や数学に閉じない知的好奇心。いわゆるリベラルアーツというものをきちんと学んでいる。やはり学問を究める人は、その裾野の広げ方も凄いなと思ってしまいました。

印象に残った言葉でギリシアの詩人アルキロコスの言葉とされる「キツネは多くのことを知っているが、ハリネズミは大切なことをひとつ知っている。」 というのがあって、どちらが凄いということではなく、学者のタイプというような説明でしたが、ある意味秀才と天才の違いなのかもしれないなとか思ってしまいました。あと、言葉による説得力の必要性といったところで、紀貫之が書いたとされる『古今和歌集』の仮名序「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の中をもやはらげ、たけきもののふの心をも慰むるは歌なり。」に触れ、紀貫之の言葉にも驚いたし、こういう例が出せる先生にも驚きました。

もう一つ。フンボルトは、知識を学ぶだけではなく、新たな知識を発見したり知識を進歩させたりするのに必要な技術を身につけた、自律的な人材を育成するのが、大学の目的であると主張したという話もちょっと感動的でした。

また、本題から少しそれるかもしれないけど、米国に残る反知性主義の根源に係わる話。キリスト教では知恵を持つことがまさに人間の原罪とされていて『新約聖書』にも、イエスに神の子である証拠を要求したパリサイ人が「神を忘れた時代の人」と非難される場面があることをもとに、「米国で生活していると、今でもキリスト教にそういう反知性主義的な側面があることを感じる」という話は勉強になりました。日本にも反知性主義ってあるのだけど、その理由が判った気がしました。

いずれにせよ、とても刺激のある一冊でした。

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