落合陽一先生の「これからの世界をつくる仲間たちへ」を読みました。最近AIで起こっていること。翻訳ができるようになったこと・・・そういうある意味でルーチンな業務がAIにとってかわられたとき、あるいはそういうAI技術と共存していくために、人間は何を身に付け、どう振舞っていくのかということいついて、割と的確に言葉にしてくれたように思います。そうなんです、こういうことを感じていたんだと思いました。とにかく疑問を持ち、ロジカルに思考して整理し、オリジナリティ溢れるソリューションを提供することなんですよね。語学とかプログラムというツールではなく、ロジカルな思考、純粋な問題提起、そしてそれをソリューションにする力、そんなことを感じさせてくれる本でした。以下ノートです。
・コンピュータが翻訳しやすい論理的な言葉遣いが母語でちゃんとできること、つまりそのような母語の論理的言語能力、考えを明確に伝える能力が高いことのほうが、はるかに重要です。
・たくさんの違った常識を持つこと。複数のオピニオンリーダーの考え方を並列に持ちながら、自分の人生と比較し、どれとも違った結論に着地できないか、常に考えること、そういう頭脳の体力が大切です。
・コンピュータになくて人間にあるのは、「モチベーション」です。
・その人にしかわからない「暗黙知」や「専門知識」にこそリソースとしての値打ちがあります。それをどれだけ資本として取り込むことができるか。IT世界では、そこが勝負になるのです。
・資本家に物理的なリソースが必要なくなったことが最大の変化であり、本質です。
・誰もが共有できるマニュアルのような「形式知」は、勝つためのリソースにはならない。誰も盗むことのできない知識、すなわち「暗黙知」を持つ者が、それを自らの資本として戦うことができるのです。
・フロリダとサローの考えを合わせると、これからは「専門的な暗黙知を持つクリエイティブ・クラスを目指すべきだ」ということになるでしょう。
・成功したクリエイティブ・クラスをそのまま目標にすることではなく、その人が「なぜ、いまの時代に価値を持っているのか」を考えることです。
・リベラルアーツの語源は、古代ローマにおける「アルテス・リベラレス(自由の技術)」というものです。これは、「アルテス・メカニケー(機械的技術)」と対になる概念で、古代ローマでは「技術」をその二つに区別して考えていました。
・アルテス・メカニケー=メカニカルアーツの重要性を再認識し、新たな解釈のもとでリベラルアーツとメカニカルアーツの両方を学ぶことが必要でしょう。
・「自分が解決したいと思う小さな問題を探せ」と言われたら、どうでしょう。意識は外の世界に向かうはずです。そうやって探したときに、なぜか自分には気になって仕方がない問題があれば、それが「好きなこと」「やりたいこと」ではないでしょうか。
・ネットや他人から得た情報を鵜呑みにするのではなく、あらためて自分で考える習慣をつけることが、思考体力を高めるための第一歩でしょう。
・思考体力の基本は「解釈力」です。知識を他の知識とひたすら結びつけておくこと。
・これからの時代、コミュニケーションで大事なのは、語学的な正しさではなく、「ロジックの正しさ」です
・テラヘルツ電波の使い途はまだあります。面白いのは、「スキャニング」です。この電波には、紙や木材やプラスチックなどの物質を透過するという性質があります。
・自分という人間の持つ価値を自ら肯定し、それによって実存を圧倒的に踏み越えて行く。この感覚は、フロムにいたっても「信念」としか定義されていません
・世界に変化を生み出すような執念を持った人に共通する性質を僕は「独善的な利他性」だと思っています。
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今月の読書 5冊
1月からの読書 33冊