りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

統帥権干犯

統帥権の干犯というのは、昭和五年四月に調印された、ロンドン軍縮条約の折、浜口内閣の姿勢が甘いという批判のもと、政友会の犬養毅鳩山一郎などが、浜口内閣の決定が「統帥権の干犯だ」と批判したところから注目を浴びる言葉となったようだ。政友会の鳩山一郎は、政府が軍令部長の意見を無視して条約に調印したのは統帥権の干犯であると攻撃し、「憲法第十一条には『天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス』とある。すなわち、軍の統帥に関しての輔弼機関は内閣ではなくして、軍令部長又は参謀総長が直接の輔弼機関であるという事は今日まで異論がない。統帥権の作用について直接の輔弼機関があるにもかかわらず、その意見を蹂躙して、輔弼の機関でもないものが飛出して軍令部長の意見を変更したということは、まったく乱暴で、海軍軍令部長の意見と、異なる意見を陛下に進言申し上げて宸襟を悩まし奉っても、なお総理大臣に責任なしということは私は断じて承認できないのである」と演説し、倒閣を狙った。つまり、統帥権干犯とかいっても、純粋な思想的なものというより、倒閣の道具だったわけです。統帥権が干犯されない状態は、統帥権が独立した状態といえる。この「統帥権の独立」と対峙する言葉は「文民統制(シビリアン・コントロール)」であり、かのヒトラースターリンですら形の上ではシビリアン・コントロールをしようとしていた事実を思えば、日本で統帥権が独立していた罪は大きい。その役割を犬養毅鳩山一郎という政治家が行った事実も忘れてはならないと思う。