夕方、人事部からの依頼もあって、17日の夜に亡くなった会社の同僚のお宅に人事部長、人事担当者とともに伺いました。通夜・葬儀への参列および香典を固辞されていましたが、ご親族と話してみると「来てほしくない」という意味ではなく、1)故人が「忙しい中来てもらうことは申し訳ない」という話をしていたこと、2)親族関係も10名足らずで小さな斎場ということで、あまり大勢で来られても対応できないこと、というのがその理由でした。「親族の数を上回らない程度で親しい人が来てくれると故人も喜ぶのではないか」という話も頂き、社内で調整することになりました。お話は1時間程度。ほぼ一方的に奥様のお話を伺うことになりましたが、故人を偲ぶ様々なエピソードを伺う良い機会を頂いたと思いました。お子様が2名。いずれもお嬢さんで、この春、下のお嬢さんが就職され、社会人になられたとのこと。まだまだ、これから楽しみなことは一杯あるとは思いますが、まずは一安心のタイミングだったのではないでしょうか。
故人のお父様は56歳で肺癌で亡くなったとのこと。偶然ではありますが、同じ年齢、同じ病気でした。呼吸器系の病気は、最期の時まで苦しいらしい。だから、本人はそれを本当に嫌がっていたらしいですが、結局はそうなってしまったらしく、奥様はそれがとても可哀想だったと、何度も話していました。亡くなる前日まで意識ははっきりとしており、ずっと「苦しい、呼吸の仕方がわからない」といっていたこと。我々がお見舞いに行ったときは、まだ元気で、「本当はこういう姿を見られたくなかったけど、それでも会えて嬉しかった」といってくれていたこと。趣味はジョギング、読書と音楽、あとはPCで、家では電球の交換もやらなければ、自分の洋服も買ったことがない、そんなお父さんだったらしいです。本当はアイドル大好きだったのだけど、そういう一面は家では見せていなかったようで・・・。松田聖子も小泉今日子も、中森明菜も薬師丸ひろ子も、みんな大好きでそういう話をしたし、宇多田ヒカルや浜崎あゆみのCDを貸したこともあったのだけど、そういう話はいっさい出てきませんでした。
若いころに患った間質性肺炎のため、胸のレントゲンには影が映り、3か月ごとに定期検診を受けていたにも関わらず、発見が遅れたこと。胸の痛みを訴えて、CT検査を受けても発見できなかったこと。それでも胸の痛みが消えなくて、別の病院でPET検診を受けてはじめて癌が見つかったこと。見つかったときにはステージ4で、余命宣告を受けていたこと。このため、家族はこの1年間でこの日の準備ができていたことなど、とりとめなく奥様のお話が続きました。いろいろな覚悟が必要だったのでしょうが、取り乱すことなく淡々と冷静に処理されていた故人のパーソナリティが伺える話でした。謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。
結局、本日予定されていたパーティには間に合いませんでした。今日の報告もあり、2次会に合流。現実の世界に戻ってきた感じがしました。疲れた。
今日はCISAは20問しかできなかった。まあ、こういう日もあります。