りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

イン・ザ・メガチャーチ

朝井リョウさんの「イン・ザ・メガチャーチ」を読みました。
まず、ラストはこういう終わり方だったか。次の一瞬で何が起こるのか?とてつもない衝撃なのはわかるけど、そこから先の物語はどうなるのか?そのテーマはこの本の主題では無いとは思うけど、とても気になる終わり方だった。
SNSでネットに意見を晒す。いいねの数はやっぱり気になる。いいねを集めるために、いいねを押したくなるような発言をするようになる。また、炎上しないように発言に気をつける。そうして配慮された発言は自分の意見なんだろうか?もちろん、リアルな世界でも、特に日本ではその場の空気を読むということは昔からやられて来た。でも、ネットの世界にはonとoffの切れ目がない。スマホを持てばいつでも繋がる事ができる。子どもの頃からそれが当たり前で育って来た人たちは逃げ場を繭に求める。広く世界と繋がるのではなく、視野を狭くして自分が信じたいものだけを信じて、共通の価値観の人と繭の中に閉じこもる。
「何でもいいんです。酒でもタバコでもギャンブルでも、 SNSでも海外ドラマでも読書でも恋愛でも育児でも仕事でも環境保護活動でも。とにかく、何かに対して熱量を高めていたい、何かに時間や労力や資金を注いでいたいという人はとても多い」
「神がいないこの国で人を操るには、〝物語〟を使うのが一番いいんですよ」
「資金や時間や思考力も注ぎ込んで、沸いたり揉めたり喜んだり怒ったりしながら感情も使い果たして、没頭度を高めるどころか狂いの強度を周囲に喧伝までして。そうしているうちは、何かに対して自分を余す所なく使い切っているという本人以外が覆しようのない幸福感を得られるわけですから」
「一番のタブーは、自分が余ることなんです。自分を使い切ることが今の時代に手に入れられる唯一の正解であり、〝幸せ〟なので」
「一度何かを〝幸せ〟だと認識させたのなら、最後まで自分を使い切らせてあげないといけないんです。何かの拍子に視野が拡がって自分を客観視してしまわないように」
「わざと信じ込むっていうか、噓でもこうなんだって強く思い込まないと、思い切った行動には出られなかったんですよね。」
宗教戦争はいつからか、論理も理由も要らなくなる。正誤も正義もアテにならない世界で、ただ掲げられた矜持が燃え尽きるその瞬間まで、争いだけが続いていく。」