猪瀬直樹さんの「昭和23年冬の暗号」を読みました。同氏の「昭和16年夏の敗戦」と対になる作品でもあるけど、単独でも十分面白い。
昭和21年4月29日、つまり終戦の翌年の天皇誕生日に東條英機に代表されるA級戦犯は巣鴨拘置所、通称スガモプリズンに収監され、5月3日に彼らを裁く東京裁判が始まった。5月3日は翌昭和22年に日本国憲法が施行され、憲法記念日として国民の祝日となった。東京裁判が結審したのはさらに翌年の昭和23年11月12日になるが、極刑を言い渡された7人のA級戦犯の刑が施行されたのは、その年、昭和23年の12月23日、すなわち、後の平成天皇となる皇太子殿下の誕生日だった。日中戦争から太平洋戦争に至る一連の戦争責任について、天皇は訴追を免れ、東條英機を始めとする軍部の暴走、統帥権の独立を盾にシビリアンコントロールの効かない当時の日本の体制の問題としてかたづけられたが、そのメルクマールとなる日を日本国民、特に天皇家の心に深く刻ませる意味で、敢えてこの日が選ばれたという話だ。
日本占領軍の総司令官であるマッカーサーは、いかにアメリカ軍の犠牲を少なく、つまり低コストに日本の武装解除を進め、占領統治をアメリカ主導で進めるかが大きな命題であった。戦後生まれの我々は、原爆投下を契機に日本人は一夜にして、鬼畜米英から親米になったような勘違いがあるが、当たり前のように終戦を受け入れない勢力はあって、当然彼らは武装もしていて、徹底抗戦の構えを見せていたりもした。これを武力で押さえ込もうとすれば、硫黄島や沖縄のようにアメリカ軍にも多大なる被害が予想される。そこで考えられたしゅだんが、天皇を擁護し、戦争責任を一部の軍部に負わせるという作戦である。国家元首である天皇に本当に戦争責任が無かったのかは別の議論である。とにかく低コストにそしてアメリカ主導とするために迅速に事を進める必要があった。分断国家となったドイツの例もあるし、その後勃発する朝鮮戦争の例を見ても、世界の赤化を食い止める意味でも日本の占領はアメリカが主導権を握らなければいけないという強い思いもあったであろう。マッカーサーはそれを周到に実施したのに過ぎない。一方で、天皇家には「お前らの身代わりとして、軍人達は処刑されたんだ」という事を深く心に刻ませる意味で、天皇家に縁のある日にちを選んで、刑が執行された。なんとも。
