りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

一握の砂

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買い来て 妻としたしむ

石川啄木の「一握の砂」の中の作品。特別な意味はないのだけど、何となく思い出してしまった歌。もちろん、字義通りの意味もあるのだけど、比較対象は友だけでなく、過去の自分自身という解釈もあるらしい。

「花を買い来て 妻としたしむ」も、妻と積極的に仲良くしたいというよりも、外に居場所がなくなった時の作者の気持ちという風に読むらしい。

実は、上原隆という人の「友がみな我よりえらく見える日は」という似たようなタイトルのノンフィクションがあるらしい。その本自体は読んだことがないのだけど、ある人の書評では「人は自分が『普通』と違うと思ったとき落ち込んでしまうことがありますが、その『普通』であるということは一体何を意味するのか。・・・本書でとりあげられる人々は、『普通』の尺度で測れば決して幸せとは言えない境遇にありながら人生に自分なりの意味を見出していきます。」とあった。あ~なるほど。別に友でもなく過去の自分でもなく、外に居場所がなくなったわけでもないのだけど、自分が思っていた「普通」と違う現実を突きつけられた日だったんだなと妙に納得してしまった。自分が何を「普通」と思っていたかは疑問なのだけど、ちょっと違った。判っていたことだけに別に落ち込むことではないけれど、自分が思っていた「普通」とは違ったということかな。そして次のステップは、「この現実の中で自分なりの人生の意味を見出す」ということになるのかなと思ってしまった。悪くないね。