見城徹さんの「編集者という病」を読みました。書かれている内容は「さすが!見城徹」です。が、あえてそのままにしたという編集はやや不適かな。重複も多いし、時間的にもいろいろ前後していて、とにかく寄せ集めましたという印象を拭えないところがあります。が、それでも読ませてしまう力は、文章というより内容の濃さ何でしょうね。改めて気になった言葉のピックアップ。
「寝ることによって、肌を重ね合わせることによって、臭いを直接嗅ぐことによって、何か見えてくる、糸口があると思うんだよね」
「ヘミングウェイに刺激されて、体がきちっとしなければ、意志もきちっとしないということを常に思っていたんだね」
「中上とか三千綱とかを見ていると、やっぱり彼らは書かざるを得ない、書かなければ救われない何かを持っているんですね。書かない限りは生きていけないという・・・金銭的なものじゃなくて、自分が成り立たないという病気なようなものを持っているわけです」
「どんな世界でも、大家の三人・・・それは政治でもスポーツでも芸能でも、作家の世界でも財界でも何でもいいんです。その世界で決定的に大物だといわれている三人に対して必死に食らいついて、その三人に可愛がられる。それと、自分の目で見て、これは絶対にすごくなると思う新人を三人。この三人と三人を押さえれば、真ん中は向こうから入ってくる」
「その傷ついてきた総量が多ければ多いほど、相手に対して刺激的な言葉を投げかけることができると思います。思いやるということもできますしね・・・だから失恋を多くしてない奴はだめですよ」
「踏み込めない奴はだめですよ。愛さなければ踏み込めない、感動してなけりゃ踏み込めないわけです」
「小さいことにくよくよするな!なんてウソだ。小さなことにくよくよせずに、大きなプロデュースできるわけがない。小さな約束も守れない奴に大きなことができるわけない」
「プロデュースの第一歩は小さな約束を必ず守るということだ。自分ひとりだけで全ては動かない。要求したものを受けてくれるのも人間なのだから、この人に頼まれたなら断れない、この人にやれと言われたら懸命にやらざるを得ないと思われることが大切だと感じる」
「他者への想像力が乏しい奴に人を動かすことはできない。他者への想像力が乏しい奴にプロデュースなどできない」
「仕事っていうのはかかわった人の誰かが『ああ、やらなきゃよかった』と思ったら、次につながらない。次につながらない仕事はやっぱり失敗」
「尾崎(豊)は愛も、真実も、永遠も、何も信じられない人間だった。すべてを信じることができないから、愛を歌い、真実を歌い、永遠を歌い、純粋に見えたんです。救いを求めていたから歌うんだ」
そして、あとがきの最後に綴られた言葉
「ノーペイン・ノーゲイン。ウエイト・トレーニングで良く使われる言葉ですが、人生も、すなわち仕事も恋愛も同じです。痛みのないところに前進はない」
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