午前中にこのブログを書いて、どうしても気になったので改めてこの本を引っ張ってきて、結局全部読んでしまいました。村上春樹さんの「走ることについて語るときに僕のかたること」。気になったところは割と最初の方にありました。引用します。
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誰かに故のない(と少なくとも僕には思える)非難を受けたとき、あるいは当然受け入れてもらえると期待していた誰かに受け入れてもらえなかったようなとき、僕はいつも少しだけ長い距離を走ることにしている。いつもより長い距離を走ることによって、その分自分を肉体的に消耗させる。そして自分が能力の限りある、弱い人間だということをあらためて認識する。いちばん底の部分でフィジカルに認識する。そしていつもより長い距離を走ったぶん、結果的には自分の肉体を、ほんのわずかではあるけれど強化したことになる。腹が立ったらその分自分にあたればいい。悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい。そう考えて生きてきた。黙って呑み込めるものは、そっくりそのまま自分の中に呑み込み、それを)できるだけ姿かたちを大きく変えて)小説という容物の中に、物語の一部として放出するようにつとめてきた。
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この「誰にミック・ジャガーを・・・」という章は、若い時のミック・ジャガーが「四十五歳になって『サティスファクション』をまだ歌っているくらいなら、死んだほうがましだ。」と豪語したにもかかわらず、彼が六十歳を過ぎても『サティスファクション』をうたっている現実を伝えている。でも、それは若い時のミック・ジャガーが四十五歳の自分を想像できなかったからだという説明でそれを非難するものではない。年をとるということは、誰にでも訪れ、そして誰にとっても未体験の事実である。だから、若い時に年をとった自分を想像できなくても、あるいは年をとって味わう感情を、想像できなくて仕方がない。だから、細かいところはあとにまわし、そこにあるものをあるがままに受け入れ、それとともにとりあえず生きていくしかないというのが村上春樹さんの主張なんですね。今の自分にとってぴったりの言葉のような気がします。そして、この受け入れがたい、ある意味「ランナーズブルー」のような感覚は誰もが感じること・・・なんですね。
- 作者: 村上春樹
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