りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

考えない練習

小池龍之介さんの「考えない練習」を読みました。一言で言うと、五感をとぎすまして、見る、聴くといったことに集中することで、雑念を振り払うことができるとまで行ってしまうとまとめ過ぎかな。自分としては最近怒りっぽいので、自分の話す言葉に注意して、これを自分で聴くことによって、吐き捨てるような攻撃的な話し方を改善できたらと思いました。本編も良かったのですが、巻末の池谷裕二さんとの対談が面白かったです。ちょっと引用しておきます。

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○瞑想中に非常に深い集中状態に入ると、意識は明晰でクリアな状態なのに、夢のようなものを見ていて、かつとてもリラックスしているんですね。そして、その夢のようなモノを意識化していくと、心の動きも整理されていくんです。
○集中すること=自分で外界の情報を遮断出来ると言うことですね。すーっと一点にだけ集中すると、非常に安楽な感じになるんですよ。その安楽さにも意識を集中して消すんです。すると安楽さに執着せず、非常に気持ちよい状態も遮断出来るようになる。瞑想により生まれる「巨大な至福感」すら消せるようになると日常で普段振り回されている快・不快に浮き沈みしない揺らぎない心が育ちます。
○瞑想というものをいったい何のためにやっているのかというと、結局目的でなく道具なんです。非常に強い集中力を身につけると、自分の意識の流れが見えてきて、普段はごまかしていけたけれどもこんなことを考えていたのか、心には実はこんなデータが刻み込まれていたのかと判ってショックを感じ、自分の心が組み替わっていく。そのために集中力が必要なんです。こうやって苦や楽への執着を薄めると、苦境やおだてに反射的に反応することがなくなります。揺るがず、動じない平常心が手に入ります。
○仏教の修行道には「戒・定・慧(かい・じょう・え)」の三学というのがありまして、「戒」は仏教徒の自己ルールのことです。二番目の「定」というのは、定めて集中することです。「止観」の「止」、心を一つの対象に止めて集中する状態です。最後の「慧」は「止観」の「観」、その集中状態で自己観察して、自分に組み込まれているパターンに気づくということです。するとそのパターンが崩れる、という流れで自分の中のネガティブな感情を突き放していくのが修行のエッセンスなんです。

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考えない練習 (小学館文庫)

考えない練習 (小学館文庫)

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