りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

運慶展

めっきり春らしくなってきました。今日も暖かい一日。でも、心は晴れない。結果の出ない慎平君の受験も気になるところだが、晴れない心の理由は別のところにあります。
最近走ると骨盤?が痛くて、寝返りも打てなくなるのですが、昨日は特別酷くて、今日はエアロビだけでスポレッシュを切り上げて、奥さんと金沢文庫の運慶展に行ってきました。運慶については、正直何も知らなくて、歴史の教科書にあった「東大寺金剛力士像が運慶と快慶の作」とあったような気がするくらいという程度でしたが、先日、JR東日本の新幹線の車内誌に運慶の特集があって、興味を覚えました。運慶、快慶と一言で言ってしまうことが多いですが、作風もかなり違うらしい。ただ、その雑誌によると、運慶の作品というのは、太ったからだ、衣に衣文が流れていて空気の流れが生まれている、玉眼の名人という形で整理しており、一言で言えば、力強くダイナミックな仏像といえるのではないか。そんな思いがあって、どうしても運慶の仏像を見たくなったわけです。運慶という人は快慶とことなり、作風そのものがダイナミックに変わっていった人らしく、おそらく職人というより自分の解釈で仏像を彫り上げる芸術家だったのでしょう。職人肌の快慶とはそういうところが違ったようです。とにかく、私は、如来や菩薩といった静的な仏像よりも、東大寺金剛力士像が好きですし、不動明王とか、毘沙門天とか帝釈天とかそういう仏像が好きなので、非常に魅力を感じました。
仏教についてはいつかきちんと自分の中で整理しておかなければならないわけですが、日本には八百万の神様、仏様がいて、仏様については、ウィキペディアに「仏教における「仏」とは、仏教における最高の存在であり、悟りを開いた者である仏陀如来)とする(狭義の仏)。しかし後に、仏陀に準ずる存在で悟りを開こうと修行している菩薩、密教特有の尊である明王、天部の護法善神などを含めた、仏教の信仰、造像の対象となる尊格を、広義の解釈として「仏」と総称するようになった。」とあるように本来の仏である如来以外にも信仰の対象となる仏様がたくさんいるわけです。特に密教特有の尊である明王、天部の護法善神の中にはヒンドゥー教の神様達がたくさんいらして、まさに守ってくださっているという構図になっています。故に力強い。この力強さは運慶の作風でこそ活きるのではないかというのが、今回の運慶展へ足を運んだ理由です。いや、思った以上に来場者が多くて大変でした。意外に仏像を見に行く人って多いのですね。でも、何となく仏像の力をもらえたような気がしました。