りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

検察側の罪人

キムタクとニノのダブル主演。話題の映画をやっと見てきました。ただ、原作から変更して判りやすくなった部分と、原作には無くてかえって難しくなってしまった部分があって、結局映画が終わったあと考え込んでしまいました。

原作の最上は検察の人間らしく「殺人者は法の力で裁きたい」というこだわりがあって、そのために一線を越えてしまうという判りやすさがベースにあったような気がする。その点については明確なのだけど、一方で友人丹野の死の意味とか、沖野や沙穂が最上を疑う過程に少し難しさを感じた。映画の方は最上に限らず、検察あるいは国家が勝手に正義を作り上げて、その正義のためにストーリーを作り上げ、国民が犠牲になってしまう・・・という壮大な話がベースにるように感じた。まさかこの映画にインパール作戦が出てくるとは思わなかった。それも結構重要なポイントとして。これは、間違いなく原田監督のこだわりなんでしょうね。逆に沙穂は潜入してスクープを取るというモチベーションがあり、明確に検察の(最上の)動きに最初から疑いの目を持って接していることが最上の犯罪に疑いを持たせる自然さを持っていたような気がする。
原作にはなくて、松倉が最後に暴走自動車に轢かれて死んでしまうのだけど、あれ、結構多くの人がスカッとしたんじゃないのかな。彼は現行法上は裁かれるべき人間ではない。でも、彼が行った数々の明確な犯罪を知って、死んで当然と多くの人が思ってしまう。やったことを思えば当然。ただ、それが自ら正義を作り出して、人を裁いてしまう検察側の罪人につながるところなんではないかと、ちょっと奥の深さを感じました。

f:id:acts_1101:20180903084329j:plain