いま世界の哲学者が考えていること

岡本裕一朗先生の「いま世界の哲学者が考えていること」を読みました。▼第1章 世界の哲学者は今、何を考えているのか▼第2章 IT革命は人類に何をもたらすのか▼第3章 バイオテクノロジーは「人間」をどこに導くのか▼第4章 資本主義は21世紀でも通用するのか▼第5章 人類が宗教を捨てることはありえないのか▼第6章 人類は地球を守らなくてはいけないのか▼第1章 世界の哲学者は今、何を考えているのかの7章構成。第1章は現代の哲学を概観してくれている内容ですが、ところどころ理解できるところがあっても、全体感をとらえるまでには至りませんでした。第2章は興味深く読んだつもりですが、個人的にはあまり印象が残りませんでした。第3章、第4章、第5章はとても面白かった。特に第2章は生命倫理というのか、哲学的な考察が必要なのだろうなと思いました。第4章の展開は良かった。ハイエク限界費用0の社会、すごく説得力がありました。第5章の宗教も非常に興味深かったです。結局は、日本人のように「話せばわかる」とか、そういうのは間違いだなとそんな風に思いました。とりあえず、ハイライトしたのは以下。

▼第1章 世界の哲学者は今、何を考えているのか

・こうした「人生論としての哲学」を、今でも哲学者たちが積極的に語っているかといえば、「No」と言わなくてはなりません。・・・哲学研究とは、ある哲学者の説を詳細に理解することだ、と考えられているからです。
・具体的な現場こそが問題であって、哲学説を理解するには、哲学者が直面したその現場に迫っていく必要があるのです。
・自分の生きている時代(「われわれは何者か」)を捉えるために、哲学者は現在へと到る歴史を問い直し、そこからどのような未来が到来するかを展望するのです。
・哲学の世界的な潮流を考えるとき、1960年代ごろまでは、およそ三つに分類されていました。一つがマルクス主義、二つ目が実存主義、三番目が分析哲学です。
実存主義マルクス主義が哲学の世界的な潮流としては勢力を失ったのに対して、アングロサクソン系の分析哲学は、その内実を変容させながら、現在でも現代哲学の中心的な勢力を保っています。
・現代のデジタルな監視では、「監視される者」が誰であるかは問題になりませんし、監視はいわば自動的に行なわれていくのです。
・私たちは「監視される者」であると同時に、「見物する者」でもあるのです。
・「フレーム問題」というのは、人工知能が具体的な場面で行動を起こすときに陥る難問に他なりません。
▼第2章 IT革命は人類に何をもたらすのか
▼第3章 バイオテクノロジーは「人間」をどこに導くのか
・人間の遺伝子組み換えがなぜ悪いのか、はっきりしないからです。
・ストックは、バイオテクノロジーの成果を積極的に取り入れ、「費用、安全性、有効性」の条件がクリアされるならば、人間に対する遺伝子組み換えも賛成すべきだと主張します。
・子どもの人生を有利なものとするため、親たちが子どもの遺伝子を改良することは、どうして悪いのでしょうか。子どもの遺伝子の改良は、子どもへの最も早い段階の教育(「遺伝子工学的教育」)と言えないでしょうか。
・現代のリベラルな優生学は、国家による強制的な優生学ではないのですから、ナチス・ドイツの記憶を呼び起こして単純に反対することは不可能です
バイ保守主義の中心的な考えは、人間のエンハンスメント(能力増強)・テクノロジーがわれわれ人間の尊厳を掘り崩してしまうだろう、ということである。
フクヤマは「人間の尊厳」という概念にもとづいて、バイオテクノロジーを規制しようとしました。人間には尊厳があるのだから、人間の遺伝子改変は認められないと考えているのです。
・現在の人間の能力(身体的・精神的能力)を増強することが、どうして「人間の尊厳」を侵害することになるのでしょうか。より高い能力を目指すことが、なぜ「尊厳」を損なうことになるのでしょうか。現在の人間の能力を超えていくことは、むしろ私たちにとって目指すべき方向ではないでしょうか。こうした観点から、ボストロムは「トランスヒューマニズム(人間超越主義)」を提唱しているのです。
・クローン人間といっても、コピーのように、そっくり同じ人間(コピー人間)が作りだされるわけではありません。体細胞クローンというのは、受精前の卵子から核を取り除き、そこに精子ではなく、ある人物(A)の体からとった細胞の核を移植するという方法です。
・このクローン人間は、いわば年齢の違ったAの「一卵性双生児」と言えます。
・クローン人間が年齢の異なる「一卵性双生児」であるとすれば、クローン人間を恐れたり、禁止する理由もないわけです。
・ヒト・クローンについても、それを求める人が出た場合、禁止を主張するにはクローニングが誰に対しどんな害があるのか、明示する責任がある。
・衆人の意見は、必ずしも正しいわけではなく、単なる偏見である場合が少なくありません
・人が道徳的に価値あるのは、ただゲノムがユニークな場合だけであるということです。
アリストテレス以来、「技術的に作られた」ものと「自然的に生じた」ものは、「自明の対立項」となってきました。
・善悪の判断や直観が脳にもとづいているため、人間の行動を変えるには脳に働きかけなくてはならないという発想です。
・知的な活動と道徳的な活動が、脳の異なる領域で行われている
・近代的な刑罰制度においては、人々が合理的〔理性的〕な判断に対する一般的な能力を持っているということが前提とされていました。
・近代的な監獄制度がどのように成立したかを描いています。そのポイントとなるのは、絶対王政的な残虐な刑から、規律訓練にもとづいて精神を矯正する刑への転換にありました。
▼第4章 資本主義は21世紀でも通用するのか
・ヨーロッパもアメリカも1910年から50年あたりまでは格差が縮小しています。この傾向はだいたい1970年ごろまで続きますが、それ以後は再び格差が拡大していくのです。
・格差拡大の原因は、大企業と政府が結びつき、政府が「大企業やウォール街、金権政治家が望むことに力を入れている」からです。
・道徳的に重要なことは、各人が十分に持つことである。もし、誰もが十分なおカネをもつならば、誰かが他の人々よりも多く持つかどうかは、特に考慮すべき関心事にはならない。
・フランクファートは、「平等主義」と対比して、「十分性の学説(十分主義)」と呼んでいます。
・道徳的に重要なことは、格差ではなく「貧困」になります。・・・通常、経済的な格差を論じるとき、あたかも「経済的平等」がよいことであるかのように最初から前提されています。そのため、格差(不平等)が拡大されると、悪いことだから是正すべきだ、と主張されます。
・資本主義は、私的所有の自由を前提にしたうえで、経済活動における利潤追求の自由を中心としたシステムですから、資本主義の根底には自由の原理があります。
・アメリカではリベラリズムは伝統的に特別な意味をもっています。・・・ここでリベラリズムという場合、個々人の「自由」を重視する立場を指すだけでなく、「弱者救済」的な格差原理をも提唱しています。平等主義的な観点から、政府によって福祉政策を実施したり、個人の自由な経済活動に規制をかけたりするわけです。
・日本語で自由主義という場合、ロールズリベラリズムよりもノージックリバタリアニズムの方が近いのではないでしょう
・同じ自由主義でも、人々の社会的・経済的な格差(不平等)にどう対処するかで、リベラリズムリバタリアニズムは全く対立しています。
・「市場原理主義」によって格差を拡大し、富裕な人々や企業・国家を優遇する政策が「ネオリベラリズム」だ、というわけです。
ソ連の、次いでロシアの崩壊ののち、アメリカは地球全域にその覇権を広げることができると思いこんだが、実はその時すでに、おのれの勢力圏への統制も弱まりつつあったのである。
・2035年ごろ、すなわち長期にわたる戦いが終結に向かい生態系に甚大な危機がもたらされる時期に、依然として勢力をもつアメリカ帝国は、市場のグローバリゼーションによって打ち負かされる。特に、金融の分野で、保険会社などの巨大企業がアメリカを打ち破る。これまでの帝国と同様に、アメリカは金融面・政治面で疲弊し、世界統治を断念せざるを得ないだろう。・・・トッドやアタリの「アメリカ帝国終焉論」が、「サブプライム危機」以前に発表されていたことです。
・グローバリゼーションには、きわめて深刻な「パラドックス」が潜んでいて、その理解なくして未来世界を展望できないからです。
・①「もしハイパーグローバリゼーションと民主主義を望むなら、国民国家はあきらめなければならない」。あるいは、②「もし国民国家を維持しつつハイパーグローバリゼーションも望むなら、民主主義のことは忘れなければならない」。そして、③「もし民主主義と国民国家の結合を望むなら、グローバリゼーションの深化にはさよならだ」。・・・①のグローバルな連邦主義は不可能に見えますし、国家の多様性を無視する点で望ましくないでしょう。また、②のネオリベラリズム的政策は、世界的な金融危機や格差拡大など、グローバリゼーションに暗い影を落としています。しかし、そうだとしても、③「賢いグローバリゼーション」はいかにして可能なのか、あらためて検討する必要がありそうです。
・「ビットコイン」の出現は、パソコンやインターネットの登場にも匹敵する
・彼は、通貨を「実体的な裏付けのない表象的なもの」と規定し、「通貨の根底にある信用と精算のメカニズムこそが、マネーの本質である」と述べて、標準的な貨幣論との違いを次のように強調しています。
・このもう一つの貨幣論の中心にあるもの、原始概念といってもいいものは、信用だ。マネーは、交換の手段ではなく、三つの基本要素でできた社会的技術である。基本要素の一つ目は抽象的な価値単位を提供することである。二つ目は、会計のシステムだ。取引から発生する個人や組織の債権あるいは債務の残高を記録する仕組みのことである。そして三つ目は、譲渡性である。原債権者は債務者の債務を第三者に譲り渡して、別の債務の決済に当てることができる。
金融工学は、工学的な(数量的)手法を用いて、資金をいかに効率的に運用するかを目的とします。そのために情報通信テクノロジー(コンピュータ)を利用しますが、活動の主体はあくまでも金融機関です。ところが、今日話題になっているフィンテックでは、情報通信テクノロジーを専門とする企業が、金融の分野に参入し始めています。
・リフキンは、現在進行中の情報通信テクノロジー革命(IoT、3Dプリンター、クラウドファンディングなど)が、どのように社会と経済を変えていくかを描き出しています。
・「資本主義から共有型経済(シェアリング・エコノミー)へ」というリフキンの発想を支えているのは、現代のデジタル・テクノロジーによって経済学の「限界費用」がゼロに近づく、という状況認識です。
・資本主義経済の最終段階において、熾烈な競争によって無駄を極限まで削ぎ落とすテクノロジーの導入が強いられ、生産性を最適状態にまで押し上げ、「限界費用」すなわち財を1単位追加で生産したりサービスを1ユニット増やしたりするのにかかる費用がほぼゼロに近づくことを意味する。
・競争によってテクノロジーを飛躍的に発展させ、生産性を上げて価格を下げるのは、資本主義のロジックそのものなのです。 ところが、そのロジックが極限まで進められると、「限界費用」がゼロになり、資本主義の命脈とも言える利益が枯渇するわけです。したがって、資本主義は成功することによって失敗するのです。
マルクスの予言が「資本主義は失敗することによって生きのびることができない」だったのに対して、シュムペーターは「資本主義は成功することによって生きのびることができない」と予言したわけです。
シュムペーターによれば、資本主義はイノベーションによって成功するにもかかわらず、存続できず崩壊するに至るのです。この奇妙な逆説について、どう考えたらいいのでしょうか。
・本書(『長い20世紀』)の基本命題は、歴史はシュムペーターが一度ならず二度も正しいことを証明したということにある。・・・資本主義の成功が毎回その存続をますます難しくする状況を作り出すというシュムペーターの議論の正しさを証明することも、大いにありうることである。
▼第5章 人類が宗教を捨てることはありえないのか
・宗教の役割が次第に縮小していくという従来の世俗化理論は、ヨーロッパのキリスト教については妥当だとしても、世界全体で考えると、宗教への回帰現象が顕著になっているのです。
・西暦1500年ごろには、神を信じないことが不可能だったのに対して、2000年においては、神を信じないことが容易であるどころか、むしろ不可避でさえあるのはなぜかというわけです。
・信仰は自分本来の生き方をするための、選択肢の一つになるわけです。
テイラーが現代の「世俗性」を説明するとき、信仰を否定してはいないことです。たしかに、表現主義の立場にたてば、制度的宗教は衰退しますが、個々人の内面と結びついた宗教は、生き方の選択肢の一つとして新たに模索されるのです。
・グローバリゼーションは、一方で諸地域の緊密な結びつきを形成するとともに、他方で宗教的な対立を掻き立てているからです。
ハンチントンは、冷戦終結後の世界を理解するため、宗教を中心とした文明に注目したのです。そのさい、彼はフランシス・フクヤマのような一極的な世界秩序(自由民主主義の勝利)といったモデルをしりぞけ、七つあるいは八つを数える世界の主要文明へと分断されると考えました。
ハンチントンが無視し理解を拒んでいるのは、このようにイスラム世界の「何らかのもの」が西洋文明の一部となっていることである
・そしてまさにこうして一方から他方へと「何らかのものが通過する」(通過した)ことが、テロリストの怒りを引き起こしている。そして文明の混交化が歴史の真実である以上、テロリストはそれをテロという手段で封じるほかないのである。
現代社会において、神を信仰することは、もはや対立しか生みださないのでしょうか
▼第6章 人類は地球を守らなくてはいけないのか

 

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