憲法への招待

渋谷秀樹先生の「憲法への招待」を読みました。憲法論議があっても、自分はあまり憲法を理解していないなという理由から・・・たまたま別の人のブログで紹介されていたので、手に取ってみました。全体は5章立て。第1章 憲法とは何か 第2章 人権とはそもそも何か 第3章 どのような人権が保障されるのか 第4章 政府を動かす原理は何か 第5章 政府の活動内容は具体的にどのようなものか。それぞれの章で数問のQ&A 形式になっていて、確かにブログで紹介されていたように判りやすかったです。ただ、憲法学者ってこういう考え方をするのかと思うと・・・やや受け入れられない部分もあって、少し複雑な気持ちになりました。

・国家を構成する不可欠の要素としてふつう指摘されるのは、「領土」「人」「統治権」の三つです
・現行憲法で定められている国民の義務は、すべて国民の自由・権利の実現や保護に直接還元されるもので、国民に本当の意味での法的義務を課している規定ではありません
憲法のすべての規定は、このように政府に対して義務を課すルールとして定められている
・法律による義務づけが、権利・自由を不当に侵害しないように、憲法が政府の立法活動などに制限を課しているのです。
・コモン・ローの内容は、中世ゲルマンの高次法思想を受け継いだもので、客観的に存在する正義を認識し、確認したものとされたのです。市民革命を経て、「法の支配」の原理は、市民に権利を保障する法が統治活動を拘束すべきであるという内容をもつことになっていきます。憲法は、統治者、つまり政府を支配する高次法を成文化したものだと言えるのです。
ポツダム宣言を受諾した段階で、明治憲法の諸規定のうち、ポツダム宣言に含まれている国民主権の原理や人権の尊重などに矛盾・抵触する部分については実質的に効力が失われてしまったけれども、政治的な連続性を外見上保つためだけに、明治憲法の改正手続が流用されたと解するのです。
明治憲法の改正規範を用いて行われた手続上の正統性について、そしてまた国民主権の原理、戦争放棄と戦力不保持の平和主義、基本的人権の尊重などを定める内容上の正統性についても、根源的には当時の憲法制定権力の持ち主であるGHQの承認にその根拠を求めるほかないでしょう

・国家の最高法規である憲法というルールの正統性は、究極的には、その国家の構成要素である「人」と「統治権」の担当者たる政府がその正統性を認めているという事実によって支えられていると考えられるのです。
・革命が起きて、主権の所在や行使の方法に関する根本規範が変更されない限りは、改正できない、あるいは改正してはいけないということが論理上の約束事、つまり公理なのです
・歴史を現実に生きた人類の悲惨な経験こそが、人権を保障する根拠であると語っているのではないでしょうか。
・権利の行使には、他人の権利・自由などを侵害してはならないという制限がはじめから組み込まれていると考えられます。
・ある権利を具体的に行使する際には、他人のどのような権利・自由や生活利益が妨げられるのかを考える必要があります。
違憲審査は、権利・自由を制限する目的・根拠がきちんと説明できるか(=目的審査)、具体的に採られた手段が果たして妥当か(=手段審査)、目的・根拠と手段の間に整合性があるか(=関係審査)、の三局面からなされます
・日本国民と外国人が同様に憲法上の権利をもつということから出発しつつも、個別の権利の性質・内容に照らして、外国人には保障されないもの、あるいは保障のレベルが国民より低いものがあると言っているのです。
・内部に複雑な対立や差異を抱え込んだ人々を、一体感のあるひとつの「国民」にまとめ上げることが要請され、国民教育や国民軍、あるいは国旗・国歌・国史・記念碑といったシンボルを用いることによって、国民意識は作り上げられていきます。
・「国家の領域に暮らす人々=国民」とする社会契約思想の論理と、「血統主義に基づく国籍保有者=国民」とする国民国家の論理の間には、大きなへだたりがあることに注意する必要があります
憲法上の権利が誰と誰の間の権利なのかを理解する必要があります。結論的に言うと、それは政府(公権力の主体)と私人(公権力を行使する立場にない個人または組織・団体)の間を規律するものとして構想されたものです。
憲法の人権規定をストレートに私人間に適用するのではなく、人権規定の趣旨を具体化する法律を新たに作るか、あるいは私人間の関係を規律するためにすでに作られている法律の規定を通して人権規定の趣旨を当てはめていきなさい、と判決は言っているのです。
・人権カタログの中にある権利がどうして規定されたのか、その理由を原理的に検討し、そこを出発点としながらも、社会の実態に合わせていくために、合理的に考えられる範囲内でその内容に変更を加えたり、広げたりしていくという方法です。
・人間の行動と法との関係は、おおまかに禁止・放任・権利の三種としてとらえることが法的思考の基本である
・自己決定権と人格権に分類できます。
・自己決定権としては、①子どもをもつか否かなど家族の形成・維持についての権利、②尊厳死や延命医療の拒否など自己の生命・身体の処分についての権利、③髪形・服装など生活様式を選択する権利、人格権としては、④プライバシーの権利、⑤名誉権が議論されてきました
・個人情報の具体的な内容を見てみると、内心や能力については、信条・信仰、趣味・嗜好、学業成績、資格などがあるし、身体的な特徴については、容貌、指紋、身長・体重、血液型など、履歴については、生年月日(年齢)、本籍、学歴、職歴、病歴、離婚歴、犯罪歴など、社会関係については、住所、電話番号、メール・アドレス、家族構成、交友関係、財産、所得額、納税額、金融機関からの借入額などがあります。
靖国神社は、明らかに一宗教団体が運営する宗教施設です。そこに神道の礼法にのっとって参拝することは、紛れもなく宗教的活動です
・一九八五年八月九日に提出した報告書は、「国民が靖国神社戦没者追悼の中心施設であると考え、公式参拝を望んでいる」として、公式参拝にゴー・サインを出しました。
・なお、この報告書には、一九九九年に亡くなった後もなお現在の憲法学の通説を代表する部信喜・東京大学教授の、公式参拝違憲であるとする反対意見が併記されています
・猥褻を定義して、「徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」と述べます。
表現の自由は、「極めて重要なものではあるが、しかしやはり公共の福祉によって制限されるもの」であり、「性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持することが公共の福祉の内容をなすこと」には疑問の余地はない
・ある表現物にふれて、そこからどのようなメッセージを受け取るかは、受け手それぞれの感受性の問題なのです。
・令状とは、裁判所または裁判官の発行する許可状のこと。これが、被疑者(犯罪の容疑者)の逮捕・勾留、証拠保全のための押収・捜索などの犯罪捜査を、公正かつ中立であるとされる裁判官がコントロールする道具として威力を発揮します。
・身柄を拘束する逮捕や、住居などの捜索は、被疑者の人身の自由や個人情報が集積する自宅などの侵犯になる非常に強力な措置なので、令状というきちんとした形式をとった書面に、どのような理由に基づいて、誰(何)に対して、いつ、どのような処分を行うかを具体的に特定し、それを相手に明示しなければならないのです。
最高裁判所は、ここでいう「残虐な刑罰」とは、「火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法」が禁止されるとします
・フランスは死刑制度を廃止する西ヨーロッパの最後の国となったのです。
・各投票が選挙の結果に及ぼす影響力においても平等であることを要求せざるをえない
・裁判官が裁判にあたって要求される「良心」(七六条三項)とは、憲法裁判においては、政府によって侵害されてはならない個人・少数者の権利・自由をも保障する立憲主義の精神、すなわち正義そのものなのです。
・象徴とは、かたちのない抽象的なことがらをイメージさせる、かたちのある具体的なものを言います。たとえば、ハートは愛情の象徴であり、オリーブの枝をくわえた白鳩は平和の象徴です。
・自衛戦力を肯定することはできません。自衛戦力を否定する考え方が妥当であり、政府もそう理解しています。自衛戦力を保持できないとすると、自衛戦争を遂行することができず、結局九条全体として自衛戦争も放棄したと解されています。これが政府見解であり、通説でもあります。
憲法の特質として、授権規範性、制限規範性、最高規範性などがあることについては、2と3で説明しました。憲法は、さらに国家の基本方針・基本理念を対内的に、そして対外的に示す規範であると考えられる。
・これまでの平和な生活が、自衛隊に集団的自衛権の行使を認めるという政府による軽率な解釈変更で破られる、ということに気が付かなければなりません。
日本国憲法の原点には、自衛の名のもとに軍備を増強し、東アジアに侵略戦争を行い、その地に住む人々に甚大な被害を与え、最終的には原子爆弾などによって自国民にも悲惨な被害をもたらした政府の失政があったはずです
憲法があえて「行政権」を内閣に独占させると記さなかったのは、憲法の全体構造が「三権分立」ではなく「権力分立」を指向した結果であると言えるでしょう。
・世の中には、法律の言葉でからめとることのできない出来事がたくさんあります。裁判には、このような出来事に直面したとき、法律で定められた言葉がどのような意味をもつのかを深く考えて、その言葉に具体的な内容を与えていく、きわめて創造的な行為が含まれているのです。これを「解釈」と呼びます
判例が尊重されるべき理由は、同じような事件には同じ解決がなされることが、裁判の公平性、さらには平等の理念から要請されるという点にあります。

憲法への招待 新版 (岩波新書)

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