りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

昭和陸軍の軌跡 永田鉄山の構想とその分岐

素晴らしい本です。プロローグの「満州事変 昭和陸軍の台頭」を読んだだけで、この本が自分の頭の整理にきわめて役立つ本であることを確信しました。冒頭、「昭和陸軍が歴史の表舞台に登場するのは、とりわけ満州事変からである」という文章からこの本は始まります。昭和の陸軍についての自分のイメージは、日露戦争以降戦争らしい戦争をせず、平和な時代を続けた日本の軍部は、軍事組織というより肥大化した官僚組織そのものだったという理解。一方で、第一次世界大戦で戦争のやり方が変わり、戦争の遂行=国家総動員という思想のもと、軍部が政治に係り、日本という国家を指導して行こうという立場に立ったのが昭和の陸軍だろうという程度の理解でした。もちろん、その中心は永田鉄山。だからこそ、サブタイトルの「永田鉄山の構想とその分岐」というものにとてつもなく惹かれました。プロローグの文章を少し引用したい。

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永田、東條、石原、武藤、田中らはのちに昭和陸軍を動かす中心人物となっていく。たとえば永田鉄山は、陸軍省軍務局長のポストにつき、いわゆる統制派を率いて、事実上全陸軍をリードする存在となる。だが、陸軍内の皇道派と統制派の派閥抗争の中で暗殺される。
東條英機三国同盟締結時の陸相、太平洋戦争開戦時の首相兼陸相。のちに東京裁判においてA級戦犯として死刑となる。武藤章は、三国同盟時、太平洋戦争開戦時の陸軍省軍務局長で、同じくA級戦犯として刑死した。田中新一も、太平洋開戦時の参謀本部作戦部長であった。太平洋戦争開戦時、東條、武藤、田中が陸軍の実権を掌握しており、ことに田中が対米開戦の主導者であったが、なぜか彼のみ戦犯として起訴されていない。その政治的背景は現在までも謎のままである。
石原莞爾は、満州事変後に参謀本部戦争指導課長、同作戦部長となり事実上陸軍を牽引するようになる。だが、日中戦争開戦時、戦争不拡大を主張し、拡大派の武藤章参謀本部作戦課長、田中新一陸軍省軍事課長らと対立して失脚。まもなく陸軍を去る。

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田中新一に関する疑問は自分にとっても謎でした。なぜか東京裁判で裁かれたのは軍政畑の軍人たち。大本営機密日誌などを見ても、明らかに軍令畑の軍人が対米開戦の強硬派であったにも関わらず、田中新一など軍令畑の軍人は裁かれていない。これは欧米人にとっては、軍隊はシビリアンコントロール下にあって統帥権というものを理解できないからなのでしょうか。
あと、昭和陸軍の中心人物として上記5人の名前が挙がっていますが、石原の言葉にあるように思想を持っていたのは、永田と石原だけなんじゃないでしょうか。永田は構想力も指導力もあったが、相澤事件で暗殺され、昭和陸軍は大きな思想的支柱を失うことになったということでしょうか。石原は構想力はあったが、残念ながら人望が無く、結果平時の官僚である東條が主導権を握り、訳の分からない空気と英霊というサンクコストの重みで日本は勝ち目のない戦争に突入していくということなんじゃないかと思います。

昭和陸軍の軌跡 - 永田鉄山の構想とその分岐 (中公新書)

昭和陸軍の軌跡 - 永田鉄山の構想とその分岐 (中公新書)

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