りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

神様のカルテ

今日は奥さんと休みを合わせて、映画「神様のカルテ」を見に行きました。原作を読んだときの違和感はそのまま映画にもあって、でも意外にこういうほのぼのとした映画は嫌いではないです。違和感の最初は主人公の栗原一止は嵐の翔君とはちょっと違うかなという違和感。この栗原先生は、朴訥としてるけれども、地方医療とか医者というもののあり方に、悩んでいたり弱さがあるようなイメージなんだけど、翔君はちょっとスマートすぎるかなという印象。木訥さはあったけど、弱さみたいなものが感じられ無いような気がしました。二番目の違和感は、原作に感じた違和感ですが、栗原さんたちの住まい。古い旅館を間貸ししたようなところで、そこには学生の(振りをしていた)学士殿とか、絵を描けない画家男爵といういかにも社会からあふれてしまった弱き者たちがいるという設定ですが、それがこの作品に必要だったのかは個人的には疑問です。現実的にこういうところからは栗原先生は生まれないでしょうし、栗原先生が持つ弱さは、学士殿や男爵の弱さとは違うように思います。一方で、奥さんで写真家の榛名存在は原作でも良かったし、映画では宮崎あおいさんがとても良い雰囲気を出していたように思います。榛名さんは、”心を癒す写真家の妻”という設定ですが、栗原先生を優しく包み込んで、そして支える、そんな姿を映画でも宮崎あおいさんが好演していたように思います。ただ、この妻が持つ癒しの雰囲気は、原作にある榛名の生い立ちが関係していると思うのだけど、その辺は残念ながら省略されちゃうんですね。
見に来ている人の8割くらいは翔君を見に来ているのかなと思わせる人。もちろん悪いわけではありませんが・・・