りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

プロセスの改善

昨晩、プロセスの改善をやりながらどうやってESを上げたらよいのかを考えていたら眠れなくなってしまいました。答えはまだ出ていませんが、学生時代の恩師の言葉を思い出しました。恩師池澤先生は、TQCの大御所のひとりで、いろいろな批判はあるものの「事務・販売・サービスのTQC」を立ち上げた人でもあります。著書「品質管理べからず集」はこの手の本では異例のベストセラーになった本です。この本の中で覚えているのは2つ。1)Cから始まるPDCAというのと、2)トップかNo2がやる気が無ければTQCは成功しないという言葉。1)はテクニカルな話ですが、PDCAはプランから始めるのではなく、現状の問題点の把握であるチェックからはじめ、原因を確認してからプランを立てるべきという話。金融庁PDCAを2回回すという話をするらしいですが、これは30年も前から先生が言っていた話だなと思い出しました。2)はある意味精神論。当時、日本のTQCは世界的にも注目を浴びていて、TQCのステータスであるデミング賞は多くの企業がチャレンジする目標でした。この賞の選考委員でもあり、コンサルタントもしていた先生は、よく企業のTQC推進室といった部署の方からアプローチされていたのですが、こういうところはほとんど相手にせず、社長もしくは副社長が直々に挨拶に来たところのみをコンサルティングの対象としていました。理由は簡単で、トップがやる気がなければ品質改善は成功しないからというもの。トップに品質改善の意識がなければ、真の品質改善ができないからというものでした。先生の言葉をそのまま使うと、TQCは「悪さ加減の把握」から始まるもの。現場にとっては、自分たちの悪さを表出させるもので、とても嫌な事であることは間違いない。しかも、これをデータ化するとなると、手間を掛けて自分たちの悪さを出すことになるので、現場がやりたい訳がない。だから、現場に任せしまっては、適当に作文して終わるのがおちという論理。トップの強い信念と指導力がなければ、TQCは成功しないので、絶対に手伝わないというのが先生のフィロソフィーでした。ただ、この時、デミング賞を獲るためのTQCは全くのナンセンスといいながら、「子供に何の為に勉強するのかを問われて、真の意味を悟らせることは難しい。でも、とりあえずいい大学に入るためと受験勉強させるのは勉強させる動機付けとしては否定しない。真の勉強の意味は大学に入ってから考えても遅くない」ということで、まずはデミング賞を獲りたいというトップの意思が有る場合も、それを全面否定する事はありませんでした。動機はちがっても、トップの意思と指導力があれば、品質改善はできるという考えだった訳です。
翻って今回、最初からESばかりを気にして、「悪さ加減」の表出化を避けて通るのはナンセンス。昨晩、布団の中でいろいろ考えたアプローチは何だか邪道のように思えてきました。ボトムアップといいながら、まずは、トップの理解を勝ち取り、強い意志と指導力を発揮してもらうしか方法は無いような気がしてきました。