りおパパの日記

徒然なるままに。ドトールのコーヒーが好きです。

「昭和」を点検する(2)

「昭和」を点検するを読みました。
ちょっといくつか引用します。
保阪「私たちの国の政策決定集団は、狭い空間のなかで、お互いの言葉を反応させあって、期待、願望、予想がすべて自分たちに都合のいい現実として認識され、言葉としてより強い方向に起案されていくという特徴を持っているように思われます。」
保阪「江戸時代二百七十年をかけて私たちの国は武士階級がもっていた戦いのエネルギーをかなり儀式化し、抑制することに成功したと思うんです。知性の勝利ですよ。終戦についての腹案もそういう意識をもって読んでみると、いかにもそうした文化の中での儀式として、作文として作る文章だなという感じがする。結局のところ、戊辰戦争西南戦争という内乱をくぐり、日進、日露以降の対外戦争を経験しながらも日本人は戦争に慣れていなかった、戦争の現実を知らなかったんじゃないかと思います。」
保阪「昭和十年前後に軍人たちの間で使われた言葉に『小善』『大善』というのがあります。『小善』は軍人勅諭に書かれてあるとおり天皇に忠実に、政治に関わらず支えること。一方『大善』とは、大御心に沿い奉り『一歩前に出て』お使えすることだといういうんです。・・・自分たちで勝手に天皇の心情を忖度して、天皇のためになることなら、何をしたっていいんだということになりかねない。たとえ、天皇の大権に叛くことでも、大きな意味で「大御心に沿っているのは」のなら下克上でもなんでもない。』
保阪「(二・二六事件で青年将校が真崎甚三郎陸軍大将を首班とする暫定内閣を求めたことに対する真崎の言動に対して)『やったもんがち』『既成事実さえできあがってしまえば、こっちのもの』『すべては既成事実からはじまる』という体質を如実にあらわすものです。昭和前期を貫く『しかたない』すなわち既成事実への屈服の象徴的場面ともいえます」
保阪「状況追随の中でしか政策選択をできなかったということ。それが昭和の基本的問題だと思うんです。」
保阪さんの引用ばかりになってしまいましたが、全体こんな感じでしょうか。もちろん、ガダルカナルインパールの部分とか、瀬島龍三さんの話とか、思うところはいろいろあるんですが・・・
これは、いわゆる昭和前期、終戦までを歴史的に総括している対談な訳ですが、メンタリティとしては、今も同じような感じでしょうか。さすがに「やったもんがち」「既成事実さえできあがってしまえば」ということは無くなった、コントロールが効いている気もしますが、事実に対して客観性を失い、期待、願望、予想がすべて自分たちの都合のいい現実として認識され、結果「しかたがない」で済ませてしまうというところは、今の世の中にも通じた日本人、特に指導者階級のメンタリティに通じるように思います。